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 広島市中心部を東西に貫く大動脈で、広島の復興の象徴でもある平和大通りについて、歩きながら学ぶ催しが3日あった。民間事業者のノウハウを活用してにぎわいづくりを進めようとする市の計画に懸念を抱く市民たちが企画した。

 約50人が参加。白神社前から鶴見橋西詰め手前までの1キロあまりを、約1時間半をかけて歩いた。

 建物疎開作業などで犠牲になった生徒らの名を刻み、かつて校舎があった場所に立てられた県立広島第一高等女学校(現・県立広島皆実高)の慰霊碑。元宝塚スターらが参加し、慰問巡業中の広島で被爆した移動演劇隊「桜隊」で犠牲になった俳優たちの名を刻んだ慰霊碑。通りに点在する碑や各地から寄せられた樹木などで立ち止まり、その場所に詳しい人が歴史や現状などを説明した。

 「鳥取県から贈られたナシノキには、毎年5個ぐらいナシがなります」。全国の被爆者団体が、その土地ゆかりの木を寄贈した「被爆者の森」(鶴見橋手前)では「平和大通り樹(き)の会」の小林みどり会長(73)が木々について解説した。

 森の整備は1990年。「この森ができたのは被爆者援護法(94年成立)ができる前。全国の被爆者たちが『二度と被爆者をつくらない』という願いを託した」と実行委員会のメンバーの金子哲夫・県原水禁代表委員(72)が説明した。

 金子さんらは、慰霊や追悼の場所でもある平和大通りに「にぎわい」を作る計画を知って広島平和記念都市建設法(49年制定)で進められてきたまちづくりの「原点」が忘れ去られたような危機感を抱き、この日の催しを企画した。「この森がどれだけ市民に認知されているか。全国から来る修学旅行生にここでそれぞれの都道府県の木を見てもらえば、別のにぎわいができる」

 参加した南区の茂津目恵さん(48)は、「いつも通るのに初めて知ることばかり。歴史や歩みを知らないままや忘れてしまっての開発はよくない」と話した。

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 国内外から多くの人々が訪れる私たちのまち、広島。「国際平和文化都市」として発展してきた歩みの原点は、一発の核兵器でまちも人も焼き尽くされた75年前の被爆体験にある。

 その原点を知る人たちの数は年々減り、復興や開発の中で原爆の傷痕も見えにくくなった。広島がこの先も、世界のどことも違うただ一つのまちであり続けるために何が必要か。「岐路のヒロシマ」で、随時考えていきたいと思います。

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 公募で名付けられた平和大通りは、国土交通省「日本の道100選」の一つにも選ばれた広島を代表する道の一つ。その幅から「100メートル道路」とも言われるが、戦時中に空襲による延焼を阻止する防火帯をつくるため一帯の建物を取り壊す作業が行われたことに起因する。作業に従事した子どもたちの多くがここで原爆の犠牲になった。

 広島市は中区内の2・5キロ区間で、民間活力を導入して公園を整備する「パークPFI」制度を活用し、「にぎわいづくり」を目指す。市観光政策部によると、8月まで募集した市民意見は、計100件以上寄せられた。夜暗いためライトアップを要望する声のほか、トイレやカフェの設置を求める意見が多かったという。12月中に内容をまとめ、公表するという。(宮崎園子

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