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 尼崎市立歴史博物館(南城内)が10日、開館する。尼崎の原始・古代から近現代までの収蔵資料約2万7千点から、約300点を常設展示する。現在の尼崎の姿につながる近現代の展示が全体の3分の1を占めるのが特徴だ。

 博物館は、江戸時代の尼崎城本丸の北側部分に位置する。1938(昭和13)年に旧市立高等女学校として建てられた校舎を改修した。鉄筋コンクリート3階建て、延べ床面積約4700平方メートル。

 江戸時代に朝鮮通信使を兵庫津(現在の神戸市兵庫区)で接待し、大坂まで送り届けていた船を描いた絵図などからは、交易や産業で裕福だった尼崎藩の姿が伝わってくる。

 ところが1769(明和6)年の突然の領地替えが、尼崎の転機となる。武庫郡今津村から兵庫津までの豊かな海岸部は幕府領となり、代わりに遠くの播磨国の村が与えられた。これが急激な財政難や体制変更をもたらした。

 学芸員の桃谷和則さんは「他の藩の城下町は趣を残して近代化したが、尼崎は財政的にできなかった。百八十度転換して、工業都市へと進んでいった」と解説する。大阪の資本で工場が建てられ、東西の交通が発展し、工業都市でありベッドタウンでもある現在の尼崎につながってゆく。

 近代と現代の展示室では、こうした変化を様々な資料で見ることができる。高度経済成長期に大気汚染公害と闘った「尼崎公害患者・家族の会」の資料や、阪神・淡路大震災時の仮設住宅の案内板、アスベスト(石綿)被害にまつわる石綿試料の実物も並ぶ。

 桃谷さんは「今の尼崎の姿には理由がある。工業や公害のイメージで語られがちだが、多様な尼崎の姿を知って欲しい」と話す。市立文化財収蔵庫(南城内)と市立地域研究史料館(昭和通2丁目)の2カ所で収集や展示をしてきた資料や文化財は、新しい歴史博物館に集約し、市民の歴史研究の場として活用してもらう。年間来館者5万人を目指す。

 一般公開は10日からで、午前9時~午後5時。入館無料。月曜休館。問い合わせは同博物館(06・6489・9801)。(中塚久美子

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