[PR]

 昨年10月の台風19号で国道と結ぶ一本道が崩落して通行止めとなり、苦境に陥った老舗旅館。今年2月に復旧した矢先、今度はコロナ禍の逆風にさらされた。4代目夫妻はそんな中、「ずっと残して」といった常連客の声に励まされ、霧が包む静寂な山奥の一軒宿を守っている。

 映画「人間の証明」(1977年、角川春樹事務所製作)の舞台になった長野県境の秘湯、霧積温泉の「金湯(きんとう)館」(群馬県安中市松井田町坂本)。9月中旬、国道18号から県道を約10キロ北上して向かった。車1台が通れるほどの狭い道を進んだ標高1180メートルの山中に、朱色の屋根が見えた。

 本館は1883(明治16)年築という。屋内の温度計は21度だった。「街とは10度以上違います」と経営者の佐藤淳さん(49)。壁に掲示された来客リストには幸田露伴、与謝野鉄幹・晶子夫妻、岡倉天心、西条八十、伊藤博文、勝海舟、尾崎行雄、西郷従道らの名があり、市原悦子、渡辺謙らドラマ撮影などで訪れた名優の色紙もあった。

 旅館は昨年10月の台風19号で苦境に陥った。「人生で最悪だった」と佐藤さん。豪雨で県道の路肩が長さ約20メートルにわたってガードレールごと谷に崩落。通行止めになった。復旧する2月まで、旧碓氷峠から山道を3時間かけて歩いてくる客のみ受け入れた。街に住む義父に崩落現場まで迎えに来てもらって買い出しをし、森林管理署の許可が出た後は遠回りの林道で街に出た。

 紅葉の秋と年末年始の稼ぎ時を失い、売り上げは例年の1割に激減した。県道復旧後はいったん持ち直したが、コロナ禍で客足は半減。政府の「Go To トラベル」や県の「愛郷ぐんまプロジェクト」などの施策で回復しつつあるが、台風の被害を受けた昨年の宿泊客3千人にさえ通年で及びそうもないという。

 しかし、1884年に佐藤さんの曽祖父らが共同経営で開業したという長い歴史の中で、浮沈は何度もあった。

 旧松井田町誌によると、一帯は1910年夏の大水害で壊滅的な打撃を受けた。豪雨で山崩れや土石流が発生。その2年前、伊藤博文、山県有朋、松方正義、桂太郎の首相経験者らが集まって第2次桂内閣の組閣を協議したという日本郵船社長の別荘など、政府高官や富豪の別荘が多数流失した。高所にあった金湯館は被災を免れたが、横川止まりだった鉄路が碓氷峠を越えて軽井沢へ延びると、別荘地の主流は軽井沢へ移った。

 影が薄くなった霧積温泉が再び脚光を浴びたのは半世紀以上経った77年。この地が舞台となった映画「人間の証明」の大ヒットだった。森村誠一さんの推理小説(770万部)を映画化。戦後の混乱期に米兵にもてあそばれた過去を持つ一流デザイナーが、「母に会いたい」と米国から訪ねてきた息子をあやめる。戦争が残した負の側面を描いた。

 森村さんは学生時代、金湯館に泊まったことがあった。宿の弁当の包み紙に「母さん、僕のあの帽子」で始まる西条八十の詩「帽子」が印刷されていた。作家となって筆が走らず悩んだ時、森村さんの胸中に霧積温泉で目にした詩が浮かんだという。「母と子の愛情をうたった詩を二十数年して思い出した時、テーマは決まった」と述べている。

 宿には作品の舞台を訪ねてみたいという観光客がどっと増えた。佐藤さんの母みどりさん(83)によると、29人乗りの送迎バスは横川駅と宿の間を1日5、6往復した。のれんやバッジ、麦わら帽子などが飛ぶように売れたという。

 宿泊客のピークは90年ごろの8千人。客室も今の倍の30室あった。ブームが去った後は、静けさが常連客を魅了し続けてきた。掛け流しの湯に佐藤さん自慢の山菜や地元産の野菜の天ぷら、煮付け。佐藤さんの妻知美さん(49)は「『ほったらかしがここのよさ』というお客さんもいて、過剰な接遇は控えている。自然とやすらぎのひとときを満喫してもらえればと。『ずっと残して下さいね』と励まされます」。

 代々伝わる話では、猟犬が傷を負った脚を浸していた水たまりを、猟師が触って温泉と気づいたとされる。夫妻はオーストラリアに留学中の長男(25)がいつか「後を継ぐ」と言ってくれることを期待している。(野口拓朗)