「自分は小さな感動を求めている」 大野将平が語る柔道
1964年の東京五輪は10月10日に開幕した。この大会で初めて実施されたのが柔道だ。日本の五輪競技で最多39個の金メダルを積み上げたお家芸にあって、男子73キロ級の大野将平(28)=旭化成=への期待は大きい。2連覇がかかる来夏の東京五輪に、大野は不思議な縁を感じている。
「私は、日本柔道を語る上で欠かせない(64年五輪をきっかけに設立された柔道私塾の)講道学舎、天理大に所属した。さらに一周回って東京五輪が決まった。運命なのか、それだけで戦う意味がある」
いまも練習拠点とする天理大柔道部の初代監督は、64年五輪で日本の監督を務めた松本安市。その松本が天理大で稽古をつけたのが、64年五輪無差別級金メダルのアントン・ヘーシンク(オランダ)だ。柔道場に残る、昔ながらのイグサの畳の感触を確かめながら、大野はそんな歴史に思いをはせる。
ヘーシンクには有名なエピソードが残る。64年五輪の決勝で神永昭夫に一本勝ちしたとき、オランダの関係者が喜びのあまり畳に上がろうとするのを手で制した。敗者を思いやる姿は、日本柔道の精神を体現したと言える行動だった。
大野自身も、中学生のころから試合後にどう振る舞うべきかを深く考えてきた。2016年リオデジャネイロ五輪で金メダルを決めた時には、喜びをあらわすことなく、深々とお辞儀をして畳を去った。
講道学舎の恩師、持田治也の問いかけがきっかけだった。「負けた瞬間に相手をたたえられる心を、俺たちは持っているのか」
持田は05年世界選手権を観戦。優勝して喜ぶ泉浩(アテネ五輪男子90キロ級銀メダル)の腕を、敗れたギリシャ選手が持ち上げてたたえる姿に衝撃を受けたという。大野は言う。「すごく心に残った。敗者のことを考えたら、勝者がその場で不必要に喜ぶ必要はない」
柔道の日本代表として東京五輪出場が内定しているのは13人。その中で2連覇を狙えるのは大野だけだ。
周囲の期待は想像以上に膨らんだ。リオ五輪は5試合中4試合で一本勝ち。次は全試合一本で、という声も聞こえてくる。結果に加え内容も求められるプレッシャーから自らを逃がすように「一本へのこだわりは捨てた。ただ勝てればいい」と話したこともある。
そんな時期に、大野と同じく…