「また逢う日まで」「木綿のハンカチーフ」など数々の名曲を生み出した作曲家の筒美京平(つつみ・きょうへい、本名渡辺栄吉〈わたなべ・えいきち〉)さんが7日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。80歳だった。50年を超える活動の中で手がけた楽曲は3千曲に迫る。日本のポップス界最大のヒットメーカーだった。葬儀は近親者のみで営んだ。新型コロナウイルスの感染状況から、お別れの会などは予定していないという。

 東京出身。元々はクラシックのピアニストを目指していた。青山学院大学卒業後の1963年、日本グラモフォン(現・ユニバーサルミュージック)に入社して洋楽ディレクターを担当。その傍らで、作曲家すぎやまこういちさんに師事した。

 66年に「黄色いレモン」で作曲家デビュー。67年に同社を退社し、職業作曲家として本格的に活動を開始。初期は、高校、大学時代の先輩で作詞家橋本淳さんと組んで数多くの作品を手がけた。67年にヴィレッジ・シンガーズの「バラ色の雲」がヒット。69年にはいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。同時期、国民的アニメ「サザエさん」の主題歌、エンディング曲も手がけている。

 71年、尾崎紀世彦「また逢う日まで」で第13回日本レコード大賞。79年、ジュディ・オング「魅せられて」で第21回レコード大賞を受けた。平山三紀「真夏の出来事」(71年)などがヒット。松本隆、阿久悠、有馬三恵子ら様々な作詞家とコンビを組み、アイドルポップスの分野でも活躍。南沙織「17才」(71年)や近藤真彦「スニーカーぶる~す」(80年)、少年隊「仮面舞踏会」(85年)なども手がけた。

 洋楽ポップスの最新ヒット曲を徹底的に研究。それら曲の構成やアレンジを取り入れ、日本人好みのメロディーを加味する手法で、日本のポピュラー音楽の表現領域を押し広げた。2000年代に入ってもヒット曲を生み出し、長きにわたって日本のポップス界の隆盛を支えた。03年に紫綬褒章を受けた。