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 東日本大震災で831人が犠牲になった宮城県南三陸町で12日、震災復興祈念公園が全面オープンした。津波で全壊した防災対策庁舎を含む旧市街地の約6・3ヘクタールを整備し、追悼と鎮魂、教訓を伝える場とした。「あの日」から9年7カ月。関係者は犠牲者を悼みつつ、まちの再生へ思いを新たにした。

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 式典には、庁舎で津波にのまれたものの、かろうじて生還した佐藤仁町長や、平沢勝栄復興相、村井嘉浩知事らが列席。黙禱(もくとう)の後、佐藤町長は「震災の記憶と自然災害の脅威を伝える場として親しまれてほしい」とあいさつした。

 この日は公園と町の観光スポット「南三陸さんさん商店街」を結ぶ「中橋(なかばし)」も完成した。佐藤町長らはテープカットし、くす玉を割って渡り初めし、庁舎脇の献花台へ。白菊を手向けたあと、深々とこうべを垂れ、犠牲者をしのんだ。

 公園は2016年度から本格的に整備が始まり、約7割の4・3ヘクタールが先行開園していた。防災対策庁舎のほか、犠牲者の名簿を碑に収めた「祈りの丘」などがある。13日から一般開放される。

 防災対策庁舎は震災後、保存・解体を巡って意見が対立。佐藤町長は2013年にいったん解体を決めたが、その後県が震災から20年後の31年3月まで「県有化」し、議論の時間を置くことを提案。佐藤町長が受け入れ、有志が庁舎の在り方をめぐって話し合いを続けている。

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 霧雨が吹き付ける中、真新しい橋を、志津川地区まちづくり協議会長の及川渉さん(38)は一歩ずつ踏みしめて渡った。左手に、津波で全壊した防災対策庁舎が見えてきた。白菊を受け取り、硬い表情で献花台に置き、一礼。骨組みだけの庁舎を見上げ、見つめた。そこは、町企画課長だった父・逸也さん(当時56)の最期の場所だ。来たのは久しぶり。面影が浮かんだ。

 あの日は仙台にいた。あまりの…

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