拡大する写真・図版小舟が走る早朝の後川、四万十川合流域  写真/森 千里

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 夜半から激しい雨になっていた。連絡を受けて、隣町まで深夜に往診車を走らせる。

 患者さんは五十二歳。少し前まで看護師をしていて、母を看取ったところだった。患者さんは胃がんで手術はできず、都会の病院で化学療法を続けていた。その治療も効果がなくなり、地元の県立病院に通院していた。

 溜まってくる腹水の処置を、定期的に受けてもいた。その通院も苦痛になってきた。そんな時に、ぼくに訪問診療の依頼があった。

 患者さんの両親は、長くぼくの診療所に通っていた。印象に残るふたりだった。父は高血圧症で、前立腺がんになり、そして認知症がしだいに強くなってきた。その父に付き添っていた母に、肺がんが見つかった。

 「両親を診てくれた先生に」と、自分自身の在宅での看取りの役に,ぼくを指名してくれた。初めての訪問の日、ベッドの背にもたれて座っていても、首がつらそうだった。

 「お父さん、よく覚えていますよ。診察室でびっしり書き込んだ手帳に検査の値をつけていて、それを手につばをつけてめくっていました。それも診察のたびにでした」と、その様子をまねすると患者さんが初めて笑った。

 「祖父も大野先生に看取ってもらったんです」

 絞り出すような声で、患者さんは言った。ぼくの義父もここらあたりまで往診に来ていたのかとの思いと、患者さんとの浅からぬ関係にほっとする気持ちがあった。

 「次の訪問はいつにすればいいですか」「一週間後に…」と、少し迷いながら患者さんが答えた。「もう少し楽になるように、薬を調整します」と、ぼくはそれまでの薬を少し増やした。

 患者さんも夫も、帰省中の娘二人を含めた家族みんなの時間を、大切にしたいと思っていた。一週間単位で、時を刻んでゆくのだと感じた。

 二回目の訪問予定の前日、調子が悪いとの夫からの電話があった。昼過ぎに訪問。注射をして、他の訪問を終えた夕方にまた立ち寄った。薬が飲めていないので、また注射をした。

 その深夜だった。「呼吸が止まっています。隣でいても気づきませんでした」と、夫が冷静に電話口で言う。

 覚悟の静かな最期だった。エンゼルケアに診療所の看護師を呼んだ。看護師が来るまでの間、夫と長い話をした。

 「娘たちと十分な時間が持てたからもういい。母の持ち物の始末が大変だったから、自分の物はほとんど処分し終わっている。墓の手配も済ませた」と、夫は生前の妻の覚悟を、淡々と口にした。

 看護師と玄関を出る時は、明け方近くになった。少し小降りになっていたが、この時季一番の雨だった。「あなたの覚悟はできているか」と、問いかけるように…。

     ◇

診療所の窓辺は今回で終了します。(アピタル・小笠原望)

拡大する写真・図版<今月の言葉> 言い切ってから迷いだすいくじなし ぼくはいくじなしです。「いくじなし」という言葉が好きです。依頼されたことを断ってから、迷いだします。「あれでよかったのだろうか」、いや「自分の体力、気持ちに素直な方がいい」、あれこれこころが揺れてしまいます。そんな場面が何度も今までにあります。ぼくはいくじなしです。それでいいと思います。

アピタル・小笠原望

アピタル・小笠原望(おがさわら・のぞみ) 大野内科医師

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大学医学部卒。高松赤十字病院などを経て97年大野内科(四万十市<旧中村市>)。2000年同院長。18年12月から同医師。在宅医療、神経難病などの分野で活躍中。最新の著書は「診療所の窓辺から」(ナカニシヤ出版)。