[PR]

 幕末の生糸貿易の先駆者で横浜の発展に貢献した中居屋重兵衛(本名・黒岩撰之助)の生誕200年を記念した写真誌が発行された。出身地の群馬県嬬恋村の関係者らでつくる「中居屋重兵衛顕彰会」が著書や書状などの資料を一冊にまとめ、功績を伝えている。

 写真誌によると、撰之助は1820(文政3)年、上州中居村(現嬬恋村)の名主の家に生まれた。20歳で江戸に出て書店で商売を手伝いながら勉学に励み、知識人らと交流。30歳になると日本橋に構えた店で書籍や薬などを販売した。火薬の製法も研究した。

 53(嘉永6)年に米国のペリー艦隊が来航。翌年、日米和親条約が結ばれるなど時代は大きく動いた。55(安政2)年、36歳の撰之助は火薬生産の「集要 砲薬新書」を著し、幕府や有力な藩に献上した。

 横浜が開港する59(安政6)年、いち早く店を出し、屋号を「中居屋」とし、重兵衛と名乗った。豪壮な店舗は「銅(あかがね)御殿」と呼ばれて注目され、生糸を外国に売り込んだ。生糸輸出の過半を手掛けたという。前橋の下村善太郎(後の初代前橋市長)とも連携し、最高級の「前橋生糸」を輸出した。

 ただ、重兵衛が横浜で活躍したのはわずかな期間だった。幕府から突然、営業停止を命じられたからだ。華美な店構えが幕府の怒りに触れたなどとされる。61(文久元)年、幕府に捕らわれる寸前に横浜を脱出したが、江戸の隠れ家で亡くなったとされる。

 顕彰会の山崎章一会長(80)は「重兵衛は『利をもって利となさず 義をもって利となす』を信条に事業に励み、繁栄する横浜の開港に尽力した。偉業を伝えていきたい」と話す。

 重兵衛の縁で、2016年に嬬恋村と横浜市中区は友好交流協定を結んだ。

 重兵衛から7代目の黒岩幸一さん(70)は「多くの方の協力で写真誌ができた。重兵衛は亡くなった経緯など謎も多い。新たな資料を探していきたい」。

 同村鎌原の嬬恋郷土資料館では、重兵衛の功績などを紹介する特別企画展が開かれている。25日まで。

 写真誌は1200部作成。希望者には郵送で2千円(税込み)で販売する。問い合わせは顕彰会事務局(0279・97・2643)。(柳沼広幸)

関連ニュース