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 東日本大震災の教訓を先生の間で共有しようと、宮城県石巻市鹿又小学校の職員室で、「継承会」という名の集まりが時々もたれている。1、2カ月に一度、10分前後のごく短い時間。2011年3月11日にそれぞれ任地の学校で体験したこと、大切だと思うことを、交代で話す場だ。

 9月末の放課後。この日は佐久間健悦先生(44)が話す番だった。震災の当時は、市内の海の近くにある湊第二小(震災後に閉校)にいた。

 地震の後、受け持っていた5年生がふだんの訓練通り教室から校庭へ、そこから上階へと、ちゃんと避難できたこと。津波が押し寄せた時、男児たちが小さい子に窓の外を見ないよう声をかけてくれたこと。2日目まで、1人かっぱえびせん2本と水1杯しか口にできなかったこと……。

 「マニュアル通りでいいのではなく、想定外のことも想定しないといけないと覚えておきたい」。20分ほどで話を結んだ。

 去年から始まった継承会はこれで約10回目。言い出しっぺは、今春まで校長だった相沢進先生(56)=現・東松島市教委=だ。

 ふとした機会に先生たちと話すと、「震災の時こうだった」「そうだったね」と、たくさんの記憶がこぼれだしてくる。でも日々の仕事に追われ、教師一人一人が経験を語り継ぐ機会はほとんどない。「あの時の熱い思いを共有してこそ、児童に防災を教えられる」と、相沢先生は考えた。

 自身は石巻市門脇小(閉校)に勤務していた。校舎が津波火災に包まれる中で最後まで残り、住民の避難を誘導した。「死を覚悟した」体験は、しばらくは思い出したくなかったという。

 だが2015年、内陸部の登米市の学校に異動。沿岸部の学校と比べ、防災訓練のときの緊張感が足りないのが気になった。先生たちの前で初めて門脇小でのことを話し、防災の取り組みに力を入れた。18年に赴任した鹿又小も、浸水がなかった地域にある。継承会をやろうと、教務主任に持ちかけた。

 鹿又小の後任校長、阿部弘子先生(59)は、今年6月の会で話をした。石巻市北上町の吉浜小(閉校)で震災を経験し、学校外で犠牲になった児童や同僚もいる。校舎が使えなくなったために他校に間借りし、学校再開までにどんな苦労をしたかを、皆に語り聞かせた。

 先生によって伝えたい教訓は様々だ。安否確認用に「児童名簿」を持ち出すことが大事だと訴えた人。教師のチームワークの大切さを強調した人。資料や原稿は準備しなくてもよく、ただ生の気持ちをしゃべる。言葉を詰まらせ、涙ぐむ人もいる。会の後は先生たちの間で、ひとしきり震災時の思い出話になる。

 鹿又小の教職員は23人。内陸部の学校で津波被災を経験しなかった先生もいれば、当時はまだ教壇に立っていなかった若い世代も3人いる。

 涌谷町出身の佐藤ありさ先生(22)は「先輩方の話を聞くと、想像もできないことばかり。次に大震災が起きたら自分が同じ行動ができるか、不安もある。でも教師になった以上は、知らないといけない」と取材に答えた。(編集委員・石橋英昭

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