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 広島で過酷な労働を強いられた中国人と、雇用主だった企業の和解の象徴として「安野中国人受難之碑」が建てられて今年で10年。碑の意味や「加害」の歴史との向き合い方を改めて考える集会が17日、広島市内で開かれた。

 碑は広島県安芸太田町の山間部にあり、太平洋戦争末期に発電所の建設工事に従事させられた中国人労働者360人の名前が刻まれている。歴史を後世に伝えるため、「被害者」と「加害者」が連名で建立の経緯などを刻んでいる。

 「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会」が主催したこの日の集会では、10年前の除幕式などで碑と向き合った人々の写真が1枚1枚スライドに映し出された。

 自らの名前が刻まれた碑をじっと見つめる人、母の名前の前でひざまずき涙する遺族――。「継承する会」の川原洋子事務局長は「凄惨(せいさん)な歴史を忘れてはいけない」「受難の碑だが友好の碑になるだろう」といった遺族らの言葉を紹介。「実際に体験した人の言葉は重い。だが、いずれ体験者はいなくなり、碑が歴史を伝えていくことになる」と話した。

 全国約60カ所の中国人や朝鮮人の強制連行・強制労働の現場を訪ねたというルポライターの室田元美さんも登壇し、「広島は原爆という被害の歴史で知られているが、日本の侵略の歴史も伝えることが重要だ」などと語った。

 各地を訪ねて話を聞くまで、碑は単に「歴史を記録するもの」だと思っていたという。だが、取材を進めるにつれて考えは変わった。一つの碑が建立されるまでには、当事者を探し、遺骨を返還し、裁判でも争うといった地道な活動の積み重ねがある。「それこそが平和への歩みだとわかった」という。「碑は残っていく。世代を超えてそこで何ができるのかを一緒に考えることが継承につながる」(東谷晃平)