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 思い出のアケビから、生きがいのアケビへ――。東京都八王子市の民家にある「アケビ棚」のアケビが熟し始めた。淡い紫色の実がパックリと割れ、トロッと甘い果肉が見え隠れする。鈴なりのアケビに驚いた通りがかりの人たちが、「見せてください」と言って眺めていくという。

 アケビ棚があるのは、同市大楽寺町の佐々木勝治さん(75)方の庭。5年ほど前、鉄パイプを組み合わせて高さ約2メートル、縦横それぞれ5メートルのアケビ棚を作った。近所の魚屋でもらってきた魚の頭を煮出して特製スープを作り、薄めて肥料として与える。春、棚と別に育てているアケビの花粉を使って、棚のアケビに人工授粉をする。

 今年は約170個の実がなり、10月に入って実が割れ始めた。実の長さ5~10センチ程度、幅3~5センチ程度。黒い種を含んだ白く半透明の果肉を口に含むと、控えめな甘さが広がる。皮を天ぷらにして味わうという。

 佐々木さんは仙台市で生まれ、すぐに宮城県志津川町(現・南三陸町)に移った。農家の長男だったが、戦後間もない子どものころは食糧難の時代だった。山でアケビを食べるのが楽しみだった。「最高のごちそうでした」

 15歳で古里を離れ、埼玉県や都内で働いた。三鷹市内でラーメン店を開いたのは42歳の時。忙しくて家族旅行もできなかった。気晴らしに少年時代の味、アケビを育ててみようと思い立った。試行錯誤しながら、ラーメンのスープを元にした自家製の肥料を編み出し、当時の自宅の庭先で、多い年には1200個の実をならせた。

 ラーメン店は54歳でやめた。宮城を出てから事業が行き詰まったり、脳梗塞(こうそく)や心臓病、糖尿病、首のけがに見舞われたり。人工透析に週3回通い、要介護2でヘルパーの助けを借りて暮らす。今の家に引っ越した翌年、棚を作った。

 「七転び八起きの人生だったから、今を幸せに感じる」と佐々木さん。近所の公園に行けば、友人が集まってくるが、コロナ禍で自宅に閉じこもり、ふさぎ込んでいる人たちのことが気にかかる。「アケビでも花でも何でもいいから、楽しめる趣味を持てば、生きがいを感じて生きることができると伝えたい」。もう一度、棚に1千個のアケビの実をならせるのが目標だ。(佐藤純)

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