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 戊辰(ぼしん)戦争(1868~69年)で秋田藩(久保田藩)の援軍として駆けつけ、命を落とした佐賀藩士の慰霊祭が18日、秋田市新屋日吉町の葉隠墓苑であった。地元の日の出町町内会などが主催。佐賀県武雄市の幹部や秋田市の穂積志市長ら約30人が参列した。

 秋田藩は奥羽列藩同盟から離脱して新政府側の官軍についたため、東北各藩を敵に回し、領土の3分の2が戦場となった。軍備で劣り苦戦していた秋田藩に、官軍の佐賀藩士が応援に来た。この結果、新屋のまちの焼失と久保田城の落城は免れたが、佐賀藩士の死者は54人に上った。

 約120年後、新屋の土地区画整理に伴い、別の場所にあった佐賀藩士の墓3基を今の墓苑に移転。移転前、遺骨は北向きではなく、故郷の佐賀の方に向けて埋葬されていたという。墓苑には殉難藩士54人の名を刻んだ慰霊碑も建てた。

 移転の際、藩士の子孫を探し出し、「先祖の墓を持っていきますか」と尋ねたところ、子孫は「秋田の人々が佐賀藩士の墓を手厚く守ってくれていて感激した。他の藩士の墓を残してひいじいさんだけ帰るのは、葉隠武士として本望でないでしょう」と返答。分骨を求め、実現したという。

 この日の慰霊祭では、主催者を代表して日の出町町内会の辻直文会長が「(戊辰戦争から)150年以上になる時の流れをしっかりと伝えていくことが必要だと思っている。町内会としても、できるかぎり努めたい」とあいさつした。

 武雄市の北川政次副市長は、同市が昨年大水害に見舞われた際に同町内会から義援金が贈られたことや、一昨年の市庁舎改築の折には秋田市からやってきた竿燈(かんとう)5本が披露され、九州各地から8万人以上が集まったことを報告。「戊辰戦争を縁に始まった秋田市との交流をさらに深めていきたい」と語った。(増田洋一)