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 3人が犠牲となり、1400棟以上の住宅が被害を受けた2010年の奄美豪雨から20日で10年。最も被害が大きかった奄美市住用町で当時、市住用総合支所の地域総務課長として最前線で対応した満田英和さん(66)は「災害時には早期避難と気象情報などの素早い提供が大切だ」と経験を振り返りながら強調する。

 「あっという間、想定外の浸水。夜間なら被害はもっと大きかったかもしれない」と満田さん。

 10年前の10月20日、住用町では午前10時からの3時間雨量が354ミリを記録。「百年に1度」と言われる雨量の2倍近い豪雨で、同11時ごろには支所前の国道58号が浸水した。時を同じくして、町内の集落から被災報告と助けを求める電話が鳴り始めた。近くを流れる住用川と支流が氾濫(はんらん)し、支所のある西仲間地区がほぼ全域で冠水していた。

 だが支所も1階が浸水。「職員は外に出ようにも出られない状態。集落からの電話には『何とか頑張れ』と伝えるしかなかった」

 支所の固定電話や市本庁につながるイントラネットは昼前に不通となり、防災無線も午前11時50分の避難勧告を伝えた後は使用不能に。増水で支所と別棟の放送室に行けなくなったためだ。午後4時ごろには携帯電話が通じなくなり、消防・警察の無線や衛星電話だけが頼りの状態に陥った。

 市中心部につながる国道58号は浸水で川のようになり、土砂崩れによる通行止めも相次ぎ、陸路も断たれた。支所から数百メートルのグループホーム「わだつみ苑」は濁流に襲われ、入所者2人が犠牲に。龍郷町でも1人が亡くなったことが、その後に分かった。

 水が引くと、満田さんは他の職員とともに、お年寄りの救助などの災害対応に追われ、1週間ほどは支所泊まりが続いた。多くの犠牲を払ったが、復旧に関しては、集落の住民たちが協力しあう姿を覚えている。奄美伝統の助け合う心「結いの精神」を強く感じた時でもあったという。

 あれから10年。浸水した住用総合支所の庁舎は、1階を駐車場とし、防災機能を強化した施設に建て替えられた。氾濫した住用川では今も、川幅を広げて流量を増やすなどの防災工事を県が進める。町内ではハザードマップの点検や防災訓練が続けられている。

 「奄美豪雨は、ここ最近、全国で続く大災害の先駆けだったように感じる」と満田さん。早期避難と情報の重要性を何度も指摘したうえで、「住民の防災意識は高くなったが、災害はいつ来るか分からない。教訓をこれからも伝えないといけない」と力を込めた。(奄美通信員・神田和明)

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 「あの日を忘れない!」と題した奄美豪雨の被災状況などを伝える写真パネル展が25日まで、奄美市住用町の奄美体験交流館と観光交流施設・三太郎の里で開かれている。

 満田英和さんが理事長を務める「すみようヤムラランド」と「健康ど宝」という町内のNPO2法人が、防災について改めて考えてもらおうと共催した。

 川の氾濫で建物屋上に避難する住民や1階が浸水した市役所の旧住用総合支所庁舎、水没する家屋など被害の大きさを伝える写真が並ぶ。孤立した集落に、自衛隊がヘリコプターを使って発電用の車両を運ぶ様子など復旧に向けた活動を伝える写真もある。

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