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 山形県寒河江市出身の写真家、鬼海弘雄さんが19日、75歳で亡くなった。東京・浅草の市井の人々を撮り続けた写真集「PERSONA」は2004年の土門拳賞も受賞した。「故郷に恩返しを」との思いで、昨年には同市では初めての写真展も開いていた。

 東北芸術工科大(山形市)の渡部泰山特命教授(70)は、3週間ほど前に電話で話したのが最後となった。「『人生が楽しいのは70を過ぎてからだ』と鼓舞された。切ないです」

 04年に土門拳記念館(酒田市)で開かれた写真展で、美しいモデルや著名人もいない作品に引き付けられた。そこで出会った鬼海さんと手紙や著作を送り合い、山形美術館(山形市)で対談したこともあった。

 法政大文学部哲学科卒業後、トラック運転手やマグロ漁船員も経験した鬼海さんからよく聞いた言葉が「日本は目の前の欲望を求めすぎて、地面が抜けていくような貧しさに向かっていないか」。渡部さんは「誰しもが人生の物語の意味と価値を同じ地平で持っている、という哲学があった」と指摘する。

 鬼海さんは郷土料理「だし」を撮影で頻繁に訪れていたインドにも持ち込んだという。「『醍醐村(現寒河江市)の土地の風景や記憶が、手持ちの羅針盤だ』と話していた。生まれ育った故郷を生涯手放さなかった写真家です」

 寒河江市美術館では昨年4月、地元で初めての写真展を開催。今春も、インドで撮った写真集「INDIA」展示を予定していたが、新型コロナウイルス禍で延期に。同館の白田歩香さんは「インドの家族のにぎやかな暮らしぶりが、自分の育った醍醐村とよく似ている」と鬼海さんが話していたと振り返る。「故郷での展示を強く望んでいた。私たちはその思いを引き継いでいかないといけない」

 受賞作を収蔵する土門拳記念館の大竹佳代子事務局長は「とても気さくな方。サイン会で一人一人と丁寧に話すところが印象的だった」としのんだ。(上月英興、西田理人)

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