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 「神奈川沖浪裏」などの冨嶽三十六景は、もちろん、葛飾北斎の代表作のひとつではあるだろう。だが、そんな風景版画の印象しかないのは、いかにももったいない、とこの人なら言うだろう。なにせ、風景版画は北斎の90年の生涯で70歳ごろの数年間だけの仕事に過ぎないのだから。

 北斎研究者の永田生慈(せいじ)さんは1951年、津和野町に生まれた。北斎との出会いは小学3年の時。近所の古本屋で見つけた和綴(と)じの『画本(えほん)早引(はやびき)』には、墨で描かれたいろいろな人物が躍動していた。その絵師が北斎だと知ったのは中学生になってからだが、風景版画以外にも、多彩な領域の作品があることに「意外さ」を感じたという。

 曲亭馬琴らと提携した「読本(よみほん)」の挿絵、私的な配り物だった非売品の木版画「摺物(すりもの)」、絵を学ぶ際の教材となる「絵手本(えでほん)」、絹布や紙に直接描いた「肉筆画」……。北斎の魅力を「一つのものに突進して、自分のものにする。しかし、すぐにそれを捨てて、別のものに挑む。次々と脱皮していくような生き方が魅力」と語っていた。

 北斎の作品を、中学生の時は小遣いをため、就職してからは給料をつぎ込んで収集。浮世絵が専門の太田記念美術館(東京)に勤めながら、1990年からの25年間、自宅を抵当に入れて津和野に私設の葛飾北斎美術館も開いた。北斎は「自分のおじいちゃんみたいな存在」。墓所のある東京の寺での法要には欠かさず通った。

 県立美術館(松江市袖師町)の大森拓土(たくと)・専門学芸員(42)のもとに旧知の永田さんから電話があったのは、2017年4月のこと。「もしよかったら、コレクションをもらってもらえないだろうか」。病気で入退院を繰り返す永田さんが住む川崎市へ、打ち合わせや引き継ぎのため通う日々が始まった。「コレクションは我が子のような存在」「よい嫁ぎ先が見つかって安心した」。傍らに酸素ボンベを置いて永田さんはそう語ったという。

 4回にわたる輸送の最後から1カ月も経たない18年2月、永田さんは66歳で永眠。「自分の目で行く末を見届けたいので、急ぎたい思いのようでした。負担がかからないようにペースを落とされては、とこちらが言っても、『いいから、いいから』と」。そう大森さんは振り返る。

 2400件に及ぶ永田さんの収集品は、北斎の70年に及ぶ画家人生が網羅的にたどれ、世界に1点しかない作品もあるなど、世界有数の北斎コレクションだ。永田さんは作品保護の観点から、公開を県内に限るように求めた。県は今後、2年に1回程度の公開と目録作りを進める方針だ。

 パリやロンドンでの北斎展には数十万人規模の来場者が押し寄せる。米ライフ誌が、この1千年間で最も偉大な功績を残した世界の人物100人を選んだ時、日本人で唯一、葛飾北斎がランクインした。大森さんは「そんな北斎の世界水準の作品が、大都会に行かなくても足元の島根にあり、当たり前のように享受できる。特に小さな子どもたちに見てほしい」と話す。

 永田コレクションの名品展が11月23日まで、益田市のグラントワ・県立石見美術館で開催中だ(火曜と11月4日休館)。県立美術館でも、常設のコレクション展で一端に触れられる。(小西孝司)

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