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 26日に開かれるプロ野球ドラフト会議。指名対象の高校生215人の中で、最も遅い9日に志望届を提出した投手が和歌山にいる。本格派右腕だが、けがに泣かされ、公式戦での登板経験はない。最後の夏は三塁コーチャーだった。しかし、回復をめざしてリハビリに取り組み、あこがれの舞台に立つことを目指している。

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 身長188センチから投げ下ろす角度のある最速140キロの直球と、キレの良いスライダーやフォークが持ち味という和歌山東の玉置隼翔(はやと)君(3年)。プロ5球団以上が視察に訪れるなど県内有数の実力を誇るが、その経歴は順風満帆ではなかった。

 幼いころから夢はプロ野球選手。しかし、中学生時代に伸び悩みを感じ、高校では野球をやめて身長がいかせるバレーボール部に入ろうと考えた。しかし、第1志望だった学校は不合格になり、和歌山東へ進学することに。今秋も近畿大会に出場した高校野球の強豪校。「ここに入ったからには」と野球を続けることにした。

 入部時から身長180センチを超えるなど潜在能力は十分あった。しかし体重が60キロに達しないなど体が細く、球威も乏しかった。2年半の野球部生活で体重は80キロ超に増加し、本格派右腕に成長した。

 一つ上の代は投手層が厚かったことから、2年生の夏までは内野手として試合に出場。いよいよ最高学年になり、名実ともにチームのエースになった矢先、腰を痛めて新人戦と秋季大会を棒に振った。冬場にリハビリを重ね、迎えた春大会はコロナ禍で中止に。不幸は続き、7月中旬、練習試合でひじを痛め、最後の夏も登板できなくなった。

 米原寿秀監督は「将来がある子だから」と野手での起用も断念、大会中は三塁コーチャーを任せた。玉置君は「悔しかったが、なったことは仕方ないし、自分が終わってもチームは終わりじゃない。腐らず、コーチャーとしてチームを勝たせる方法を考えた」。相手の外野手の肩の強さや、チームメートの足の速さを頭に入れ、的確な指示でチームを支えた。「ここに入って一番成長できたのは人間性。野球は自分だけではできないこと、身の回りの人を助けることの大切さを学んだ」と話す。

 夏の時点では痛みでキャッチボールもできない状態だった。しかし、高校卒業後も野球を続けるための努力を重ねた。病院に通い、ひじの療養をする傍ら、体幹や股関節などひじに負担がかからないトレーニングに取り組んだり、けがをしにくいフォームを研究したりした。

 今は週2回、リハビリで病院に通う。痛みも徐々に引き、7~8割程度の力で投げられるようになった。ひじの療養が一段落するまでプロ志望届の提出は先送りにしていたが、医者や米原監督とも相談した上で、締め切り直前の今月9日に提出した。幼い頃からの夢をかなえるため、ドラフトでの指名を待つ。玉置君は「もしプロに行けたら、チームに貢献できる投手、大事な場面で信頼される投手を目指したい」と話した。(滝沢貴大)

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