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 戦国大名の織田信長とともに天下統一に進んだ明智光秀が、本能寺の変(1582年)で信長を討つに至る背景を歴史資料で探る特別展「信長と光秀の時代」が、滋賀県立安土城考古博物館(近江八幡市安土町下豊浦)で開かれている。脚色された時代劇や小説とは異なる2人の実像に迫る。11月23日まで。

 まず目を引くのは琵琶湖西岸を描いた屛風(びょうぶ)「近江名所図」(重要文化財)だ。坂本の町並みや日吉大社、三井寺、物資を運ぶ船などが細かく描写されている。永禄(えいろく)年間(1558~70)の景観とされる。永禄11年に信長は京に上り、光秀は信長に仕えるようになった。2人が近江で活躍した頃と一致する。

 2人に関係する書状からは、実際の人柄や立場が垣間見える。

 県内の旧家に伝わる光秀直筆の書状などによると、光秀は住民の争いの判断をする際、双方の主張を自ら聞き、有力者に意見を尋ねていた。文面も礼儀正しく、公平で地元に寄り添った政治をしていたことがわかる。

 一方、室町幕府最後の将軍・足利義昭が信長に送った書状では、甲斐(かい、山梨県)の武田信玄が義昭に鷹(たか)を贈った際、信長を経由して届けられたことが分かる。義昭と信長が敵対する前のやり取りだが、義昭に直接渡らなかった点に2人の力関係が透けて見える。

 展示品は重要文化財8点を含む計約80点。戦国~安土桃山期の甲冑(かっちゅう)「紫糸威具足(いとおどしぐそく)」は、鋲(びょう)に光秀の家紋・桔梗(ききょう)紋が施され、明智家との関連が指摘される。大正期に安土城跡近くの畑で見つかった信長の時代の金貨や、フランス人宣教師が描いた安土城の絵も並ぶ。

 担当者は「実際の歴史資料から、2人の生きた時代や人物像を思い描いてもらえたら」と話す。

 月曜休み(11月23日は開館)。午前9時~午後5時(入館は4時半まで)。大人900円、高校・大学生640円、小中学生420円。問い合わせは同博物館(0748・46・2424)へ。(筒井次郎)