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 核兵器を全面禁止する「核兵器禁止条約」を批准した国と地域が、発効に必要な50に達した。世界で初めて核兵器が実戦で使われた被爆地・広島では25日、様々な人たちが、それぞれの思いで、「核廃絶のスタートライン」を受け止めた。

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 8時15分 平和記念公園内の「平和の時計塔」から、いつものように原爆投下時刻を告げるチャイムが響いた。ジョギング中の女性(38)は足を止めて見上げた。「核禁条約のことをネットで見ました。ちょっとずつ進んでいるんだなって」

 8時45分 ベンチに腰掛け、川向かいの原爆ドームをじっと見つめていた平田准士さん(66)。年数回、岡山県倉敷市から1人で広島を訪れ、朝は決まって同じベンチに座る。「正直、日常生活で(原爆を)意識しているかと言ったらそんなことはない。でも、この日にこうしてドームを見ると、核は絶対にあってはいけないと改めて思う。ここからがスタートです」

 9時10分 10月25日は、被爆から10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの命日。禎子さんをモチーフに建てられた平和記念公園内の「原爆の子の像」に、福山市の小学6年、村上榛(はるな)さんと椿(つばき)さんの双子が折り鶴を供えた。コロナ禍で折り鶴が減っているというニュースを見て、家族4人で折り続けた3千羽。「戦争も核も世界からなくなればいい。その思いを込めて折りました」

 11時30分 12歳で被爆した朴南珠(パクナムジュ)さん(88)が広島国際会議場で、大阪府富田林市立金剛中3年の修学旅行生約150人に証言をした。朴さんは当時、路面電車の外を見て「広島がなくなっている」と恐怖を覚えたことなどを語り、「日本の豊かさは失われた命の上に築かれた。これを守って」と訴えた。世木(せぎ)七海さんは「話を聞いて改めて、まだ(条約に)参加していない国も日本で起きたことを知ってほしいと思った」。

 14時30分 引き取り手がない約7万人の遺骨が眠る原爆供養塔の前で青いファイルを手に1人、何かの練習をしている女性がいた。約20年前からピースボランティアを務める山根りえ子さん(68)。「ここには帰る場所がない人がこれだけいるんです」。コロナ禍でなかなかできなかったガイドの練習。「核禁条約は広島を知ろうとするきっかけになるかもしれない」

 14時30分 湯崎英彦知事が県庁で報道陣の取材に応じた。条約に賛同しない日本政府に対し、「唯一の戦争被爆国という立場で、核廃絶を推進する責務を持っている。粘り強く賛同を働きかけたい」と話し、締約国会議に「最低限」オブザーバーとして参加するよう求めていく考えを示した。

 15時00分 「条約発効はうれしいが、長い時間がかかった」。公園のベンチに座っていた広島市西区のカキ漁師、宮島義富さん(84)が言った。「多くの若者が死に、飢えに苦しんだ75年前の戦争は何のためだったのか。核兵器ではなく、国民の豊かな生活のためにお金や労力を使って」

 16時30分 市民約200人が集った原爆ドーム前で、崇徳高校(広島市西区)新聞部員3人が取材を終えた。曽祖父が広島と長崎で被爆したという平和問題担当班元班長の3年高垣慶太さんは「この瞬間に立ち会えたことに感謝。ペンをもって被爆者の話をきけるのはこの先ない。若い世代に向けて発信することの重要さを感じます」

 17時30分 平和記念公園の原爆死没者慰霊碑前で、地元の高校生と大学生によるピースキャンドルの集いがあった。日没の慰霊碑前に80個のキャンドルがともされた厳かな雰囲気の中、10人の若者が誓った。「次世代を担っていく者としてこの日常がこれからも続き、より平和になるように活動していきます」

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 広島市中区の平和記念資料館にある「地球平和監視時計」はこの日、原爆投下からの日数を「27474」、最後の核実験からの日数を「620」と表示していた。(東谷晃平、比嘉展玖、東郷隆、宮崎園子

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