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 「すぐ帰れるかな」。望月秀香さん(49)はそう思いながら富岡町から大阪に避難して9年半が過ぎた。原発事故当時、中1と小1の娘もここで成長した。「学校もなくなり、もう違う町になった」。富岡への愛着は薄れている。でも、つながっていたいと思う。

車のナンバー、替えた時の寂しさ

 自分の両親を含め家族は6人。地震の直後から8カ所を転々とし、3週間後、大阪市の市営住宅にたどり着いた。夫はトラック運転手。避難途中、夫の友人から電話で「大阪に来るなら運送会社を紹介するよ」と言われた。「仕事さえできれば、どこでも生活していけるよね」と思った。

 長女が大阪の中学校に入る時、校長から「生徒には父親の仕事で福島から来たと紹介します。原発のことは言いません」と説明を受けた。でも長女は隠さずに話した。親も同じ思いだった。「だって自分が悪いことしたわけじゃないし」

 東京で避難者への嫌がらせがあった話を聞いて心配だったが、周りは「大変やったな」「頑張りや」だった。補償金の話も聞かれ、「もらえるもんは1円でも多くもらっておき」。「こっち寄りの意見なんです。関西は福島から距離があるからじゃないですか」

 3年後、市営住宅近くのモデルハウスを購入した。「子どもをまた転校させたくないし、富岡には帰れないよねという気持ちがずっとあって、家買っちゃうかと」。PTA活動に加わり、ママ友の紹介で給食センターで働いた。「富岡のことより目の前の生活のことばかり考えていた」

 でも車を買い替えた時には寂し…

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