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 国の史跡に指定されている九戸城跡(二戸市福岡)の発掘調査で、二の丸への通路となる土橋のそばから石垣が新たに見つかった。幕末に作成された絵図には、土橋と並んで石垣が描かれていたが、発掘調査で確認されたのは初めて。

 二戸市教育委員会が21日、発表した。市教委によると、石垣は二の丸正面と武家屋敷が並ぶ一帯を結ぶ土橋に沿って確認された。確認できた石垣は長さ約8・7メートル、高さ約1・2メートル。自然石をそのまま積み上げた野面積(のづらづみ)の方法が用いられていた。石の大きさはふぞろいで、安山岩を主体に凝灰岩も混じる。排水に使う小石も見つかった。

 九戸城は15世紀末ごろに築かれたとされる。16世紀末に九戸氏が豊臣秀吉方の蒲生氏郷や南部信直らの包囲軍に敗れ、落城。蒲生氏が半月ほどで改築したとされる。その後は南部氏の居城となり福岡城と改めた。南部氏が17世紀前半に盛岡に移り、廃城となった。

 今回見つかった石垣は、九戸城の落城後に造られた本丸の石垣の構築手法と似ていることなどから、落城後に築かれたと推定されるという。

 石垣に詳しい石川県金沢城調査研究所の北垣総一郎名誉所長は「大型の石を交え、詰め石で調整する積み方から、石積み技能者の穴太(あのう)を使ったのだろう。石垣を伴う土橋の設置は、見せるための意図的な効果を求めたといえる」とコメントした。

 市教委文化財課の柴田知二主査は「石垣が描かれた図面はあったが、実際に出るのは想定外だった。城と武家屋敷の境に強固な石垣を築くことで、藩主としての威勢を家臣に示したのでは」と話した。(成田認)

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