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 携帯電話にカメラがついて20年。初号機とされるシャープの「J―SH04」(2000年11月1日発売)は、誰もがカメラを持ち歩く時代を導いた。インスタグラムやフェイスブックの浸透で、今や大量の「表現者」が生まれているが、写真文化に詳しい日本カメラ博物館の山本一夫学芸員は「革新的な芸術表現はまだ出てきていない」という。カメラの大衆化が行き着く先に見えたものとは何か。写真史を振り返りながら語ってもらった。

最初は特権階級の「肖像」

 日本の写真文化は、幕末に始まった。日本人初の職業写真家とされる鵜飼(うかい)玉川(ぎょくせん)(江戸)、上野彦馬(長崎)、下岡蓮杖(横浜)が1861~62年に相次いで写真館を開いた。

 当時は「湿板写真」といって、ガラス板に薬剤を塗ったものを使った。坂本龍馬や幕末の志士たちの有名な写真は、この方法で撮った。撮影技術を持つ人はわずかで、コストもとにかく高い。結局は財力がある一部の人が、「肖像画」のように使うのが主だった。

東京五輪で「1家1台」

 転機は1903年。国産初の量産カメラ「チェリー手提暗函(てさげあんばこ)」の生産が始まり、公の機関や企業で導入され始めた。その後、昭和になって一般家庭にもカメラが普及するようになり、64年の東京五輪の頃には「1家1台」に近い状態になる。まだフィルムや現像代は高く、観光地やイベント会場といった特別な場所で撮るものだった。

「自撮り棒」は日本発祥

 86年になると、富士写真フイルムからレンズ付きフィルム「写ルンです」が売り出された。修学旅行に高価な家のカメラを持って行くのはダメでも、レンズ付きフィルムはOKという学校も多かった。写真撮影を自由にすることが難しかった若年層が好き好きに写真を楽しめるようになり、写真撮影の「個人化」が進むきっかけになった。

 そのころ、「自撮り棒」も誕生している。ミノルタ(現コニカミノルタ)が83年にカメラのオプションとして発売した。手元でシャッターが切れるなど、近年流行した自撮り棒と構造や仕組みがきわめて似ている。

デジカメの登場で撮影費はぐっと下がったが…

 90年代中盤からデジタルカメラの時代に入ると、フィルムや現像代を気にせずに撮影できるようになった。機材の値段も徐々に下がり普及も進んだが、「1人1台」とまではいかなかった。わざわざカメラを買うほどではないという人も多かったからだ。

撮影が日常の延長に

 そうした状況を一変させたのが、カメラ付き携帯電話だ。スマホの時代になるとデジカメに劣らない性能に進化し、撮影のハードルを一気に引き下げた。

 ここぞという景色や行事だけでなく、メモがわりに時刻表や文書を撮ったり、食事や通勤帰りの空を写したり。撮影は日常の延長にある行為になった。ついに「真の大衆化」を成し遂げたと言える。

アートへの貢献はこれから?

 ただ、アートの側面から考えると、カメラ付き携帯が革新的な表現をもたらしたとは言えない。誰もがインスタグラムで何げない日常の一コマを発表する時代になったが、芸術の世界では同様の表現が90年代から存在した。2001年に写真界の芥川賞といわれる「木村伊兵衛写真賞」を同時受賞して話題になった長島有里枝や蜷川実花、HIROMIX(ヒロミックス)らが、その代表例だ。

カメラ専用機が生き残る道は

 スマホのカメラは私自身もよく使っている。正直に言って、少し前のコンパクトデジカメよりは最新のスマホの方が高性能なこともある。

 ただ、超望遠や高感度撮影などカメラ専用機でしか実現できない機能はある。「カメラ人口=スマホ保有者」となったいま、専用機が生き残るには、性能をさらに突き詰め、プロや趣味の写真家を満足させるほかない。(聞き手・森田岳穂)

【動画】20年前に発売されたシャープ「J-SH04」=森田岳穂撮影