拡大する写真・図版病院へ食料を届けるNPO法人キープ・ママ・スマイリング理事長の光原ゆきさん(中央)と支援者。「缶詰をツールにして最もガードの堅い支援先である病院のハードルを低くした」と東京ボランティア・市民活動センターの森玲子相談担当専門員は話す=東京都中央区、池田良撮影

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 あと1週間で退院だった。次女は生まれつき難病を患い、東京医科歯科大医学部付属病院に入院していた。光原ゆきさん(46)にとっても「ふつうの処置」がとられていた時、次女の心臓が止まってしまった。

 まだわずか11カ月。直前までだっこされニコニコしていた。

 光原さんは言う。「病院が真摯(しんし)に向き合い、1年かけて調べてくれたが、原因はわからなかった」。周囲には、体が小さな変化にも耐えられなくなっていたのかも、といわれた。

 もう少し大きくなれば治療を進められた。それでも学校の送り迎えは必要になっただろう。だからもうバリバリ働かず、次女に寄り添って生きる。思い描いていた未来が一気に消えた。

 仕事に戻っても通勤中も涙がとまらない。なんとか生きていられたのは3歳の長女がいたから。光原さんの場合は本で出会った言葉にも支えられた。「子どもはお母さんを選んでくる」

 実は次女に難病があるとわかった時、なぜ健康に産んであげられないのか、と自分を責めた。長女も生まれてすぐ入院が必要だった。でもこの言葉でやっと前を向けた。子どもたちは役目を持って、特に次女は何か伝えたくて、私なら受け止められると選んできてくれたんだ。

 「誰かの役に立てたら、きっと娘も喜んでくれる。将来、天国で会えたときに褒めてもらえるかも」。それなら私じゃないとできないことをやろう。

記事の後半では、光原さんのインタビューをお読み頂けます。

 2人の看病で入院中に付き添っ…

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