[PR]

 明治時代に秩父地方の農民らが借金返済の延期などを求めて武装蜂起した秩父事件の中心人物、井上伝蔵の孫で埼玉県深谷市に住む小池もとさんの100歳の誕生日を祝う会が1日、小池さんの自宅であった。今年1月に誕生日を迎えたが、事件が起きた日に合わせて開かれ、研究者ら3人が集った。長い間、孫であることを隠して生きてきたもとさん。かくしゃくとして、花束などを受け取り「ありがとう」と述べた。

 伝蔵は事件当時、困民党会計長という要職に就いていた。農民らは1884(明治17)年11月1日に蜂起し、間もなく制圧されたが、伝蔵は逃亡し、名前を変えて現在の北海道北見市で潜伏生活を続けた。現地で再度結婚した妻と子供がいるほか、秩父に残した妻コマとの間には、娘ふでがおり、その子供がもとさんだ。伝蔵は1918(大正7)年に亡くなる直前に、事件に関わったことを明かしている。

 事件をめぐっては、自由民権運動のいったんとする評価がある一方、政府に対抗した事件だとする考えも地元では根強く、もとさんは、いわれなき批判や非難から身を守るため、伝蔵の孫であることを何十年も隠して生きてきた。事件から100年経ったのを機に、84年に孫であることを公にした。

 祝う会では、研究者の塗矢邦夫さん(81)が、資料を見せながら事件などを説明。もとさんが孫であることを告白する「一世紀の沈黙」という手記を公表した経緯について、もとさんに改めて聞き取った。

 手記などによると、戦時中の44年、満州開拓団の花嫁として中国大陸に渡る直前に母から、伝蔵が事件に関わっていたと告げられた。「井上伝蔵は、悪い事は一つもしていないけど、お上にさからった罪で死刑の宣告を受けてしまったのだよ」などと言われたという。事件から100年は孫であることを明かさないよう厳命されたという。もとさんは長くその言いつけを守っていた。(原裕司)