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 厚生労働省は6日、その道の第一人者とされ卓越した技能を持つ「現代の名工」を発表した。福岡県内からは、鋳鉄連続鋳造工の田中徹朗さん(61)=苅田町=、宮大工の花元数馬さん(64)=飯塚市=、かわらふき工の熊谷裕二さん(56)=朝倉市=、造園工等の高尾図志雄さん(74)=福岡市早良区=、人形製造工の国崎信正さん(79)=福岡市東区=の5人が選ばれた。

造園工等 高尾図志雄さん(74)

 コナラやミズナラ、モミジなど落葉樹を使う「雑木の庭」を九州に広めた一人だ。「まっすぐではない雑木があると、自然な動きが出て、安らぎのある庭になる」

 久留米市の農家出身。高校で造園を学び、東京へ。造園家の巨匠・故小形研三氏のもとで修行後、1970年に帰郷し独立した。さっそく「雑木の庭」に取り組んだが、関東とは気候も土質も違う。雑木が育ちすぎてバランスが崩れたり、根腐れを起こしたり。失敗のたびに肥料や排水を工夫し、顧客の信頼を得ていった。「短いレールを少しずつ前に足していったら、長くなっていた感じです」

 82年に福岡市に転居。今は職業訓練校で教えるなど後進の育成に力を入れる。めざすのは四季折々の彩りがあり、顧客が自分で維持管理を楽しめて、安らげる庭だ。「庭ならマスクもしなくていいですから」(渡辺純子)

人形製造工 国崎信正さん(79)

 中学生の時に父親を亡くし、卒業を迎えた15歳のとき、博多人形師の叔父が、手先の器用さや絵心とセンスを見込んで「弟子にならないか」と勧めてくれた。

 美人人形や能人形のまとう衣装の織物の質感を出すために、写実的、立体的な表現を追求。焼成(しょうせい)する前の粘土生地に絵柄を彫り込む道具も、ヘラや針などを使って手作りした。独自の手法で能衣装の金襴(きんらん)や刺繡(ししゅう)を表し、表情のある作品に仕上げていった。

 「人の心を打つ作品は、慣れではつくれない」。常に新しい表現を模索する一方、本物にこだわった。特に伝統芸能、能の文化と歴史をとことん学んだ。

 新作博多人形展では4回内閣総理大臣賞を受けた。福岡国際会議場の高さ1・3メートルの「羽衣」は代表作だ。「いつもどこにもない1点を目指してきた。人が立ち止まる作品をつくった時がうれしい」と話す。(高木智子

宮大工 花元数馬さん(64)

 北部九州を中心に100を超える神社仏閣などの修復や新設を手がけた。「伝統的建造物の様式は時代で異なる。『この時代はこんな建て方で』という正確な知識が必要」が信条だ。

 福岡県嘉麻市の中学を卒業後、篠栗町の建設会社で大工の修業を始め、約10年で独立。31歳から5年半ほど直方市の寺の修復に携わり、伝統的建造物に魅了された。「昔の宮大工の努力や技術力を知り、職人の魂に触れる思いだった。知れば知るほどのめりこんだ」

 神社仏閣を手がける工務店や研究者に手紙や電話で教えを請い、専門書や古い設計図を読みあさった。精緻(せいち)な技術も身につけ、例えば柱や梁(はり)などには金属の釘は使わない。時間がたてば材木は縮むが金属は変形しないため、接ぎ目に隙間が生じることがあるからだ。

 今でも京都や奈良の寺を見て歩くなど平安時代から現代までの建築様式を頭に刻み込む。「宮大工は死ぬまで勉強」と考えている。(徳山徹)

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