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 映画監督を志していたが、第2次世界大戦中に若くして戦死した三重県伊勢市(旧・宇治山田市)出身の詩人・竹内浩三(1921~45)のドキュメンタリー映像を、竹内の大学の後輩にあたる東京の大学生が制作している。コロナ禍のなかで感じた社会の閉塞(へいそく)感や政治への違和感が、若者の背中を押した。

 10月下旬、日本大学芸術学部映画学科4年の広瀬勇誠さん(24)が、竹内の姪(めい)の庄司乃ぶ代さん(82)が住む津市の家を訪れた。カメラを前に、庄司さんは出征前の竹内と一緒に暮らしていたころの思い出を語った。

 「浩三にいちゃん」と呼んで慕っていたこと、当時5歳だった庄司さんに竹内が帽子を買ってくれたが、小さすぎて頭が入らなかったこと、竹内が地元の祭りの白い衣装を着たまま東京に行ったこと――。インタビューは約2時間続いた。

 竹内は旧制宇治山田中学を卒業後、日大専門部映画科に進み、同人誌「伊勢文学」を創刊した。詩や短編小説を発表したが、1942年に繰り上げ卒業をして陸軍に入営。45年4月、フィリピン・マニラで戦死した。23歳だった。

 「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ……」など「反戦」や「非戦」をテーマにした作品を多く残し、戦後に評価は高まった。

 広瀬さんが竹内を知ったのは今年1月。作家稲泉連の著書「ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死」を読んだ。「浩三は、夢半ばで戦争で命を奪われた、自分と同じ世代の若者だった」。遠くのことに感じていた先の大戦が、映画好きで大学の先輩でもある竹内の人生に触れることで身近に迫ってきた。

 コロナ禍に見舞われたこの国。ニュースで聞くのは、廃業に追い込まれた個人事業主の自殺や困窮する大学生……。これまで、政治には目を向けてこなかった。だが、政府の対応やそれを「批判してはいけない」という社会の雰囲気に強い違和感を覚えた。コロナ禍の「今」と竹内の生きた「戦時下」が重なるように感じた。

 「自由にものが言えない時代に、浩三は自分の恐怖や死に向き合い、正直に表現した」。そんな竹内の人生を伝える映像作品を作ろうと5月ごろから構想を練り始めた。

 10月には伊勢市に滞在して、竹内の母校の旧制宇治山田中学跡や、市内にある竹内の詩のパネルなど、ゆかりの地を巡った。庄司さんのインタビューなども撮影した。

 「浩三の視点からコロナ禍の今の時代を映しだして、自分と同じ世代に響くようなドキュメンタリーにしたい」

 現在の社会を切り取った映像に竹内の詩を合わせ、約10分の作品に仕上げる予定だ。来年2月ごろまでの完成をめざす。竹内の生誕100年記念事業の実行委員会が、来春に伊勢市内での上映を企画している。(大滝哲彰)

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