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 広島市が養成した「被爆体験伝承者」の尾崎美栄子さん(66)が、群馬県太田市の小中高一貫校ぐんま国際アカデミー(GKA)を訪れ、75年前の惨禍を英語で伝えた。105分間の生々しい講話は中高生150人をくぎ付けにし、「胸が苦しい」「泣きそう」などと衝撃を受けた様子だった。

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館によると、尾崎さんは150人いる伝承者の1人。自身は被爆者ではないが、親類を白血病で亡くしている。被爆者の新宅勝文さん(94)から体験を聞き取り、6年前から国内外で伝承を続けている。

 6日に行われた講話の題は「私は地獄を見た――新宅勝文の体験」。新宅さんは1945年8月6日、爆心地近くで奇跡的に助かり、姉を捜して原爆ドーム付近を歩き続けた。道路脇には死体が山積みにされていた。全身の皮膚がはがれ、自分の懐で死んでいった男の子がいた。材木の下敷きになった女性は救えなかった。

 広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」の実物大の写真の脇で、絵や写真とともに身ぶり手ぶりを交え、新宅さんの壮絶な体験を尾崎さんは再現した。

 生徒らは冷え冷えとした体育館の床に座り、真剣に聴き入った。「原爆を二度と落とされないよう日本がするべきことは」「私たちに何ができる?」。講話の後、生徒らの質問は途切れなかった。尾崎さんは「新聞を読んで世界情勢に敏感でいること」「核兵器の廃絶へみんなで声を上げましょう」などと応じていた。

 中等部3年の石尾莉沙さん(14)は「原爆で亡くなった方がその時まで抱いていた希望とか気持ちを考えると、胸が苦しくなった。原爆後遺症にいまも苦しむ人はどんな思いで暮らしているんだろうと考えました」という。

 広島平和記念公園を訪れた経験がある同3年の大木ありささん(15)は当時、資料館に展示された写真の悲惨さに目を背けたという。「きょうの話は被爆者の魂の叫びのようで泣きそうになった。原爆投下時間で止まった時計、家族にも会えずに死んでいった人たちのことを思うと胸が張り裂けそうでした」といい、「高齢の被爆者に代わり私たちの世代が後世に伝えていかなければ」と誓っていた。(長田寿夫)

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