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 茨城県かすみがうら市出身で、幕末の京都で反幕府勢力の鎮圧にあたった新選組の参謀だった伊東甲子太郎(かしたろう)(1835~67)の生家を示した絵図が見つかったと、同市歴史博物館が発表した。千葉隆司館長は「これまで甲子太郎の生家の場所は分かっておらず、研究の貴重な資料となる」と話す。

 絵図は和紙に墨で書かれており、縦33センチ、横56センチ。志筑領(現かすみがうら市)の武家屋敷の配置が描かれ、それぞれの屋敷に家臣の名が記されている。

 甲子太郎の父・鈴木三四郎の屋敷は陣屋に比較的近く、西隣には領主の本堂家の侍医だった金子寿仙の名も確認できる。三四郎は、一揆などを取り締まる郷目付(ごうめつけ)で下級武士と考えられてきたが、侍医と同ランクの中級武士だったことが読み取れるという。

 絵図は、同市高倉の市ノ澤家が同館に今年寄贈した千数百点の資料の中から見つかった。市ノ澤家は志筑領の郷士(ごうし)で家臣らと交流があり、屋敷の配置図が伝わってきたとみられる。

 甲子太郎は文武に優れ、新選組に入隊して参謀の役職を務めた。しかし新選組局長の近藤勇らとの意見の相違から新選組を離れ、御陵衛士(ごりょうえじ)として活動するようになる。1867年11月、京都の油小路で新選組隊士に暗殺された。

 千葉館長は「甲子太郎の生家や周りに住む家臣らの名前が分かり、鈴木家の交流関係など甲子太郎関連の研究を進める手がかりになる」と期待する。

 市歴史博物館は企画展「御陵衛士 伊東甲子太郎の顕彰活動」を11月23日まで開催中で、今回見つかった絵図も展示している。問い合わせは同館(029・896・0017)へ。(谷口哲雄)

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