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 ロシア革命後の1920年、混乱に巻き込まれた約800人のロシアの子どもたちを救い出し、3カ月かけて故郷に送り届けた日本船があった。ロシア極東から米国を経由し、二つの大洋を越えて航海した「陽明丸」。その大航海を果たして今秋でちょうど100年になる。日米ロによる国際人道協力に光を当て、時を超えて語り継ぐ試みが続けられている。(編集委員・副島英樹)

陽明丸
神戸の船会社が大正時代に運航した貨物船。米国赤十字の要請を受けて改造客船に模様替えされた後、ロシア革命下の混乱に巻き込まれた子どもたちを1920年7~10月、極東ウラジオストクから太平洋と大西洋を横断して故郷サンクトペテルブルク近くの港まで運んだ。

 「この驚くべき歴史を詳しく知って頂き、尊いヒューマニズムの先例として、日ロ間の大使の活動でも生かしてほしい」

 金沢市内で10月19日に開かれた日ロ交流の会合で、日露戦争のロシア人捕虜の歴史調査に尽力してきたミハイル・セルゲーエフ在新潟ロシア総領事は、そうつづられた一通の手紙を受け取った。

 手渡したのは、石川県能美市の篆刻(てんこく)家、北室南苑(なんえん)さん(73)。祖父母が陽明丸に乗っていたロシア人のオルガ・モルキナさん(66)から託されたものだった。

 2009年9月、ロシアの古都サンクトペテルブルクで個展を開いていた北室さんを、モルキナさんが訪ねてきた。「カヤハラ船長の子孫を捜しています。子ども難民の子孫を代表してお礼を述べたいのです」。ロシア国内や米国で様々な史料にあたってきたが、カヤハラ船長の消息だけはつかめないという。祖父母の友人が保管していた制服姿の写真が、唯一の手がかりだった。

 北室さんは2年近く、海運業界や図書館、古書店を巡った。そして、大正末期発行の分厚い船員名簿の中に「茅原(かやはら)基治(もとじ)」を発見した。親族が岡山県笠岡市で墓を守っていることが分かり、11年10月に墓参が実現した。モルキナさんは花束とロシア国旗を捧げ、こう語りかけた。「茅原船長の魂は、ロシア難民の子孫の心の中に永遠に生きています」

 モルキナさんは「『ウラルの子供たち』子孫の会」の代表として、北室さんは13年に設立したNPO法人「人道の船 陽明丸顕彰会」の理事長として、調査・研究や民間交流を重ねている。二人の出会いが、長く埋もれていた歴史に光を当てることになった。

ロシア革命で混乱

 ロシア革命で赤軍と白軍などの内戦が激化した1918年。当時の首都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)から、5~15歳ほどの子ども895人が南ウラル地方に集団疎開し、米国赤十字シベリア救護隊の支援で19年に極東ウラジオストクまで避難した。

 ロシア革命への軍事干渉で、米…

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