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 京都府城陽市の小樋尻(こひじり)遺跡での発掘調査で、古墳時代から奈良時代の間に灌漑(かんがい)のために作られたと見られる大きな溝が見つかった。府埋蔵文化財調査研究センターが12日、発表した。専門家は、日本書紀に記された「大溝(おおうなで)」の可能性が高いと指摘している。

 現場は木津川右岸の平野で、新名神高速道路の建設などに合わせて調べた。

 溝は、同じ場所で上下二つの層から見つかった。同センターは、周辺の耕作地などに水を供給するためのものだったと見ている。

 下層のものは古墳時代前期(3世紀後半~4世紀前半)に自然の流路に手を加えたと見られ、幅約25メートル、深さ約2・7メートル。木材を固定して水流を調整する設備や、浄水を流して祭祀(さいし)に使ったと見られる木製の導水施設、漆塗りの盾や琴などの木製品、勾玉(まがたま)も出た。

 上層の溝は古墳時代後期(6世紀)のものとされ、幅約11メートル、深さ約1・8メートル。底に草などの束を敷いて丈夫にする工法を採り、溝の北側には木製の堰(せき)も見つかった。再掘削されて奈良時代まで使われたことも分かった。上下いずれも、長さ約40メートル分を確認した。

 日本書紀には、仁徳天皇12(324)年10月に「大溝を山背(やましろ)の栗隈縣(くりくまあがた)」に掘って田に水を引いたとあり、推古天皇15(607)年にも「大溝を栗隈に掘る」と記されている。栗隈は今の宇治市南西部から城陽市にかけての地域。発掘担当者は「日本書紀には山背に倉庫を置いた、との記述もあり、朝廷と関わりがある開発ではないか」と推測。菱田哲郎・府立大教授(考古学)は今回の溝が「日本書紀の大溝の可能性が極めて高い」と話している。(甲斐俊作)

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