[PR]

 歴史家で東京経済大学名誉教授の色川大吉さん(95)が、水俣病研究の集大成として「不知火(しらぬい)海(かい)民衆史」(揺籃(ようらん)社)を自費出版した。10年に及んだ水俣通い。そのきっかけは、作家の故・石牟礼道子さんの涙だった。

 色川さんは、東京経済大教授だった1976年に、学術調査団の団長として現地調査を始めた。85年までの間、社会学や哲学、歴史学など各分野から水俣病問題を考察し、「水俣の啓示 不知火海総合調査報告」にまとめた。

 水俣通いを始めた当時、水俣病の認定患者らは、一部の市民から嫉妬のまなざしを向けられていた。政府が68年に、チッソの排水が原因の公害病と認め、認定患者には補償金が支払われていたからだ。「補償金目当てのニセ患者がいる」との流言も飛び交った。

 病苦と差別に苦しめられてきた患者に、今度は補償金を理由に市民との間で亀裂が生まれていた。この状況を打開するために学術調査団として水俣に来てほしい――。地元出身で、患者の支援活動に加わっていた石牟礼さんから、そう頼まれたという。

 当時のことを聞くと、色川さんの口調が激しくなった。「石牟礼さんは涙顔。その顔を見て、こっちも泣けてきた。(社会学者の故・鶴見)和子さんからも『ここで動かないなんて、義理にも人情にも欠ける』と言われた」。鶴見さんらと急きょ調査団を結成したが、学術調査といっても「そもそもの動機はエモーショナルなものだった」。患者に会って、その思いは深まった。「患者さん一人一人のくやしさが響いてきた。何十年でも息のある限り取り組もうと思った」と振り返る。

 患者たちへの思いから出発した調査の意義とは何だったのか。「各分野から集まった研究者に共通していたのは、日本の近代化の負の象徴である水俣病を通して、近代化の意味を問い直したいという思いだった」

 公害病の原点といわれる水俣病。95歳になった今、色川さんはこう話す。「公害が古くさいテーマだなんてことはない。地球温暖化も核のゴミもプラスチックの海洋投棄も、すべて公害。人類がもたらした罪の解決に向けて、一人一人が自分の問題として向き合うべきだ」

 今回の著書は、上巻に色川さんが個人で発表した論考、下巻には患者らの聞き書きのほか、自身が受けたインタビューが収録されている。上下巻で計5500円(税込み)。問い合わせは、揺籃社(042・620・2615)。(喜園尚史)