拡大する写真・図版月の半分ほどを過ごす「飯舘山荘」。周りに広がる森や川を案内する田中俊一さん=2020年10月19日、福島県飯舘村、福地慶太郎撮影

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 東京電力福島第一原発事故の直後、原子力を推進した科学者として国民に謝り、その後は全国の原発の安全対策を審査する組織のトップとなり、再稼働を認めた。いま、ふるさとの福島県で復興に携わる田中俊一さん(75)には、政府の廃炉への対応は不真面目に映る。

たなか・しゅんいち 1945年1月、福島市生まれ。67年、東北大学工学部原子核工学科卒、日本原子力研究所入所。日本原子力学会会長、内閣府原子力委員会委員長代理を歴任。福島第一原発事故後は福島県の除染アドバイザーとなり、2012年9月から17年9月までは原子力規制委員長を務め、任期中には6原発12基について、再稼働に必要な許認可を出した。現在は飯舘村復興アドバイザーとして、除染土を農地のかさ上げに使う環境省の実証事業にも関わる。

 ――原発事故の3週間後、田中さんを含む原子力の専門家16人が連名で、事故の発生を国民に陳謝し、事故の悪化を防ぐため、原子炉や使用済み燃料プールの冷却機能回復など異例の緊急提言を行いました。

 「ああいう重大な事故が起きたということは、『原子力の平和利用』を進めてきた科学者の社会的責任として、陳謝が必要だと考えました。そして、国全体が一丸となって取り組むべきことを早く示す必要があると判断しました」

 ――2011年5月には福島県飯舘村に入り、有志で除染を始めました。

 「やらないほうが楽だと思いますが、やはり、何かしなきゃという人生観ですね。11年5月、汚染されて避難が必要な状況で、中に入れるのは飯舘村ぐらいでした。飯舘村は(避難指示が出てすぐではなく、計画的に避難する)計画的避難区域に指定されたから入れたのです」

 ――12年9月、全国の原発の安全対策を審査するために発足した原子力規制委員会の初代委員長に就任しました。直前の国会では「(就任を)大変悩みました」と明かしています。

 「規制というのは、原発を動かすのが前提です。『原発はやめるべきだ』という空気が社会で強まった状況で、規制に対する信頼を本当に取り戻せるのか、と考えました」

 ――それでも、「国民が納得できる規制に取り組むことが日本のためだ」と説明しました。

 「国会事故調査委員会は、原発事故前は専門性の欠如などから規制当局が電力会社の『虜(とりこ)』になったと指摘しました。その点は払拭(ふっしょく)でき、規制委への一定の信頼は得られたんじゃないかと思いますが、それは皆さんが判断することです」

 ――被災地を支援する一方、規…

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