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 冬の暗闇に浮かぶ樹氷のように見えるでしょうか。

 これは、マウスの小脳にある「プルキンエ細胞」という細胞を、蛍光たんぱく質で染めたものです。枝先のトゲのようなところ一つひとつに、別の細胞から情報が伝わり、内側で必要な計算処理が施されたうえで、一本だけ存在する根っこの側から計算結果が出ていきます。自然界にある植物では、根っこの方から水分や栄養分が上がっていきますが、これとは逆の方向になりますね。

拡大する写真・図版小脳の「プルキンエ細胞」を蛍光たんぱく質で染めた画像=柚﨑通介教授提供

 樹木の枝のような突起は「樹状突起」、トゲのようなものは「棘(きょく)突起」と呼ばれます。見たままですね。このような美しい形態はいったいどのように、そして何のために出来上がるのでしょうか? この問いに答える研究の一環として、4年ほど前に教室の竹尾ゆかりさんが撮影しました。

 関係しそうな遺伝子の働きを一つ一つ、発達の段階ごとに失わせることによって、樹状突起と棘突起が正しく形成されていく仕組みが少しずつ明らかになってきました。また遺伝子だけでなく、生後の神経活動によっても細胞の形態が形作られることも分かってきています。

バッティングの上達にも関わる小脳

 お酒を飲み過ぎると、足元がふらふらしてしまいますよね。あれはまさに小脳の機能が低下したことによる症状です。小脳はアルコールに弱いんです。意識しなくても体のバランスを取ることができるのは小脳の働きです。

 野球で、バットを振ってボールを打とうとするとき、最初のうちは空振りしたり、ファウルばかり打ったりしても、練習を繰り返しているうちにいつか意識しないでもうまく打てるようになりますよね。それにも小脳が関係しています。

 バットを振り遅れたり、ファウルになったりしたとき、「その打ち方ではダメだよ」というエラーメッセージが小脳に送られ、大脳を通した運動指令を自動的に調節するようになります。このように小脳は運動に関係した学習に関係します。

 運動ばかりではありません。自分で自分をくすぐっても、くすぐったくはなりません。このときも小脳が「自分でやってるんですよ」ということを学習し、大脳を通した感覚の働きを無意識に抑えるようになります。このように小脳は、運動のみでなく感覚や、おそらく思考パターンなども、学習を通して自動化させるのだと考えられています。

 この細胞に魅せられている理由は、その形態の美しさに加えてもう一つあります。記憶や学習がどのようにして脳で作られ、そして失われるのかを知りたいからです。

 記憶や学習には神経細胞どうしの接合部「シナプス」が深くかかわっています。シナプスは脳のほかの場所にもありますが、シナプスがどう変化したときに記憶や学習機能において何が起こるのかを知るためには、動物モデルを使って研究をする必要があります。

 でも動物が何を考えているのかはなかなか分かりません。そこで、学習の結果が直接運動に反映される小脳の神経回路がとてもすぐれたモデルとなるのです。小脳の神経回路の中心的な役割を果たすのが、この美しくて不思議なプルキンエ細胞であるわけです。

入院きっかけ 「こころ」に関心

 こうした研究をするようになった原点は、高校時代にとある病気になって、けっこう長いあいだ入院したことです。

 同じ病室に、胃潰瘍(かいよう)にかかって一度退院したのにまた入院してくる患者さんがいました。その人をみていて、薬の治療でいったんよくなっても、再発するのは何か原因があるのではないか、例えば、ストレスに対してイライラしやすいなど、こころの働きが関与しているのではないかと思うようになりました。

 大学に入り、こころの動きと体の関係をより深く知りたいと思っていました。しかし勉強するにつれ、そもそも脳の機能が全然明らかになっていないことが分かりました。そんなころ、神経生理学で有名な伊藤正男先生(2018年死去)の特別講義を聴く機会がありました。小脳をモデルとして、個体レベルの行動や学習を神経回路のレベルから明快に解いていく研究にとても感銘を受けました。

拡大する写真・図版ゆざき みちすけ=慶応義塾大医学部生理学教授。大阪府衛生部(現健康医療部)、米セントジュード小児研究病院准教授などを経て現職

 大学を卒業して臨床研修を終えたあと、大阪府の保健所にて地域で暮らす難病患者さんの地域ケアに携わりました。ここでまた脊髄(せきずい)小脳変性症など、小脳の働きに障害のある患者さんたちに出会うこととなりました。原因や治療法が分かっていない病気が多く、腰を落ち着けて脳の働きを研究したいと思い、大学院に入りました。

 いま取り組んでいる研究の一番の原動力は、神経細胞の美しさ、脳の不思議さに対する好奇心です。でもいつか、研究で得られた成果を、神経難病の患者さんをはじめとした人の役に立てられるようにしたい、と念願しています。

 慶応義塾の第七代塾長、小泉信三先生は「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」という言葉を残されています。今すぐには役立たないかもしれませんが、シナプスがどのように形成され、どう機能することで、記憶や学習といった高次の脳機能を担うのかを、分子のレベルからしっかり明らかにすることにより、本当に役立つことにつなげていきたいと思っています。

 最近、いったん途切れたシナプスを再びつなげることができる「人工シナプス形成分子」を作製し、マウスの神経機能を改善することに成功しました。こうした研究を積み重ねて、脊髄(せきずい)損傷をはじめとした神経の障害や疾患に対する新しい治療法に結びつけることができれば望外の喜びです。