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 大分市駄原の県桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)に100年以上前から眠るドイツ兵2人の墓を13日、ドイツ大使館員らが初めて公式墓参した。第1次世界大戦時に捕虜として大分の収容所で暮らし、病死した2人。うち1人の血縁者である大使館付の武官が祖先の足跡をたどり、地域も忘れかけていた歴史が明らかになった。墓参には墓を守ってきた住民も参加。日独の関係者は友好と平和を未来につなごうと、心を新たにした。

 武官はカーステン・キーゼヴェッター大佐(55)。子どもの頃から、曽祖父の弟のユリウス・キーゼヴェッターさんが第1次世界大戦の青島の戦いで旧日本軍の捕虜となり、異国の収容所で亡くなったことを聞かされてきた。

 ユリウスさんについて家族に伝わっていたのは鉛の杯のような遺品と、「やる気に満ちて愉快だった」という人柄。「彼に何が起こったのか。お墓はあるのだろうか」。幼い頃からそんな思いを抱いてきたカーステンさんは、日本赴任を機に足跡をたどり始めた。

 研修で知り合った海上自衛隊の本名龍児1等海佐(44)や大分のドイツ人捕虜収容所について調べていた別府大学文学部の安松みゆき教授(61)の協力で、桜ケ丘聖地に墓が現存していることや、収容所での暮らしぶりが明らかになってきた。

 本名さんらによると、収容所は1914~18年、現在の大分市立金池小学校の敷地内に校舎と共存するかたちであった。捕虜たちは時折散歩に出たり、遠足に行ったりしていたという。「フェアに扱われてきたことを知った。ドイツ人は収容所でパンも焼いていたようで、香りに集まってきた子どもたちに食べさせてあげたそうです」とカーステンさん。17年に37歳で病死した際の記録や仲間による葬儀の写真もあった。

 カーステンさんは昨年墓を訪れ、刻まれた「ユリユウスパウル・キーゼウエッテル之墓」の碑名が読めるほどきれいに管理されてきた墓地に感銘を受けた。

 13日の墓参には墓地の清掃などを続けてきた地元・志手町内会の人たちも参列。副会長の園田映二さん(71)は、「外国人の墓があるのは知っていたが、どういういわれかは知らなかった。地道に続けてきた清掃活動が国際交流につながり驚いた」。ともに管理に関わってきた県遺族会連合会の末光秀夫会長(84)は「100年経とうが墓に参りたいという思いは遺族としてよく分かる。これを機に、会の活動も次代につないでいきたい」と話した。

 名前通り桜の木に囲まれた桜ケ丘聖地。老いた木も増えるなか、カーステンさんは墓参後、関係者と桜の苗木を植えた。「木を植えることは未来を信じること。これから先も、たくさんの人が、きれいな花を楽しめるよう願っています」。植えた桜は、来春さっそく小さな花を咲かせるという。(寿柳聡)