「田起こしに、力なんかいらねえんだよ。鍬(くわ)の端っこを持って、大きく振りかぶり、自然の力で落とす。遠心力で、深く刺さる。てこの原理で土をひっくり返す。米作ると、理科もお勉強できんだ」
がらっぱちな東京弁でテキトー言っている。子供は純真なもので、目を見開き、模範演技を見つめている。
長崎・諫早にあるわたしの棚田、そのすぐ近くにある小学校で、田植えを教え始めてもう5年になった。小学校では独自に田植え授業をしていたが、面倒みてくれた農家の保護者が引退。ほかに教えられる人はいない。近所で暇そうにしているアロハ姿の怪人(=わたし)に、おっかなびっくり、課外授業の申し出があったのだった。
しかし、わたしもど素人である。東京から九州に移住し、いまは亡き田んぼの師匠(享年70)に一から教えてもらってきた。じつはいまもって失敗ばかりする、まぬけ百姓。教えるなんてとんでもないっすと固辞していた。その当時、師匠に言われたのが今回テーマの言葉だ。
この師匠、毒舌なんだが、たまに“金言”をはく。その後気付いたが、人は、田や山や、自然に抱かれていると、つい「いいこと」を言ってしまうのだ。人間の小ささ、命の尊さを、体で実感するからだろう。田んぼの上では、みな、詩人だ。
この教えは深かった。わたしの…
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朝日新聞社会部