【動画】雲仙・普賢岳噴火から30年=藤脇正真撮影 撮影情報:
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 44人が死亡・行方不明になった雲仙・普賢岳の噴火開始から17日で30年。この節目を前に15日、噴火で甚大な被害を受けた島原市の安中地区で防災訓練があった。地元の住民や消防団員ら約500人が参加。溶岩ドームや眉山の崩落を想定した避難の仕方を確かめ、災害への備えを見つめ直した。

 安中地区は南島原市の深江地区と市境を接し、雲仙・普賢岳から有明海に至る東山麓(さんろく)の地域。43人が死亡・行方不明となった1991年6月3日の大火砕流は、この地区を流れる水無川の上流域で発生した。相次ぐ火砕流や土石流で住宅や家屋、農地が甚大な被害を受け、多くの住民が長期の避難生活や集団移転を余儀なくされた。

 被災の経験から、島原市ではすべての町内会ごとに自主防災会が設置された。安中地区は特に組織づくりに積極的で、地区内に33ある自主防災会のほぼすべてで、町内会長との兼務ではない独自の会長を置いている。

 訓練は、その連合体である「安中地区自主防災会」(横田哲夫会長)が、従来の町内会連合会にかわって昨年から主催している。平成の噴火でできた溶岩ドームや、1792年に大きな山崩れを起こした眉山が地震によって崩落したとの想定だ。

 午前9時、地区内の防災行政無線で避難が呼びかけられた。住民は、最寄りの公民館や運動広場などへの1次避難を開始。各町内の自主防災会は、自力で避難することが困難な家庭を訪問したり、地元消防団と一緒に消火栓を確認したりするなどの訓練をした。

 さらに、一部町内の住民らは、2次避難所になっている島原中央高校へと移動した。同校の体育館では子どもを含む参加者たちが、同校生徒の手助けを受けながら、避難所で使う段ボールのベッド作りを体験した。実際にベッドに寝てみた出田政明さん(63)は「丈夫なベッドだった。生徒に組み立てを教えてもらってよかった」と話した。

 同校敷地には、国土交通省の降雨体験機も登場。参加者は内部で傘を差し、1982年の長崎大水害時の降雨量を体験した。自動体外式除細動器(AED)の操作の体験もあった。

 横田会長は「30年前の噴火避難の際には、避難所に住民が押し寄せた。スムーズに動けるよう、通路づくりにも工夫が必要だ。普賢岳火砕流惨事から30年の節目として、次の訓練は来年5月末ごろに計画したい」と語った。(島原通信員・松下英爾)

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 平成の雲仙・普賢岳噴火 1990(平成2)年11月17日、198年ぶりに噴火活動を始め、火口から出た溶岩がドームを形成。ドーム崩落による火砕流や土石流が頻発し、91年6月3日の大火砕流では消防団員や報道関係者、住民ら40人が死亡、3人が行方不明に。93年6月の火砕流でも1人が犠牲になった。96年6月に終息宣言が出るまで、火砕流は9千回以上に及び、住宅など2511棟も被害に遭い、多い時で1万人超が避難生活を余儀なくされた。

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