拡大する写真・図版1980年に発売された144分の1ガンダムのプラモデルと金型=2019年9月、静岡市葵区のバンダイホビーセンター

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 アニメ「機動戦士ガンダム」のプラモデル「ガンプラ」が今年で発売40周年を迎えた。累計7億個が売れたヒット商品を生んだのは静岡の町工場だ。当初はアニメの人気も低かったが、成功の基盤を作ったのは地元の熱意と努力だった。

 玩具会社バンダイの子会社だった「バンダイ模型」がガンプラを発売したのは1980年7月。前年4月に始まったアニメ放映は静かな人気を呼んだが、視聴率は低迷し、発売の半年前に打ち切られていた。

相次いだ投書

 一方、アニメの放映中から、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の住宅街にあったバンダイ模型の工場には、「ガンダムの商品を出して」との投書が相次いだ。これに技術部の松本悟さん(72)が目を付けた。

 県内の工業高校を出て、「サンダーバード」や「鉄人28号」の模型を手がけた地元企業「今井科学」に入ったが、69年に倒産。工場を買い取ったバンダイに移り、70年代にヒットした「宇宙戦艦ヤマト」の後継を探していた。ガンダムは玩具市場で「はずれ」とされていたが、「ストーリーや設定がすごい」「リアリティーがある」といった投書は増え続けていた。学生を中心に熱心な模型ファンが多かった。

 当時の職場の機材では地元での放送を視聴できなかったため、東京に行って番組を録画。雑誌で情報を集めた。「紫電改のタカ」など60年代の戦記ブームが一段落し、70年代は「スター・ウォーズ」などのSFがヒット。「時流に乗っている。いける」と直感した。

拡大する写真・図版1980年に発売された初代ガンプラの企画責任者だった松本悟さん。その後、制作会社のサンライズやバンダイ関連会社の取締役を務めた=2020年10月、矢吹孝文撮影

 79年12月、バンダイ模型は、アニメ制作会社などから模型化の権利を取得。「戦車や飛行機を意識して設計した」と話すのは、同じく今井科学の元社員だった村松正敏さん(73)だ。物語の「ミリタリー要素」を表現したかった。

 人型兵器の「モビルスーツ」は正義や悪のロボットではなく、人間が開発した工業製品として描かれた。自動車や戦車の模型を設計してきた村松さんは「平面に見える部分も、弾丸をはじく緩やかな曲面にした」と解説する。

拡大する写真・図版1980年に発売された初代ガンプラを設計した村松正敏さん。手にしているのは当時の設計図=2020年10月、静岡市清水区、矢吹孝文撮影

 それまでのキャラクター商品は、ゼンマイやモーターで動く「触って遊ぶ」おもちゃが多かった。これに対し、ガンプラでは戦闘や整備の場面を再現し「飾って眺める」要素が重視された。「ヤマトからガンダムにかけて、戦車や艦艇のような模型になった」

拡大する写真・図版村松正敏さんが描いた初代ガンプラのデザイン案図=1980年2月7日作成。村松さん提供(C)創通・サンライズ

 再放送や映画化を経てガンプラは大ブームに。生産が追いつかず、金型の製作やプラスチック成形を行う下請け企業が不可欠だった。「成形機の隣で寝る生活が10年くらい続いた」。地元の成形業者「興津プラスチック」の元社長の男性(76)はこう語る。樹脂を金型に流し込み、模型のパーツが枠でつながった「ランナー」を生産した。

成形機の隣で寝る生活

 欠損やひび割れが出ないよう、金型の形や気象条件に合わせて温度や圧力を調整した。ガンダムの頭のアンテナは「角が細いから、プラスチックを入れるのが下手だと短くなる」。家族と交代で成形機を24時間動かした。ランナー1枚で取り分は4~6円だったが、数年後には借家から工場兼自宅に移り、成形機は7台に増えた。

拡大する写真・図版初代ガンプラ(144分の1)の設計図。寸法やパーツ一覧が書き込まれている=松本悟さん提供(C)創通・サンライズ

 75年から40年以上、今も模型の袋詰めの内職をする深沢幸子さん(73)もガンプラで家を建てた。ランナーを2~3枚まとめて透明な袋に入れ、ホチキスで封をする。パーツ不足やプラスチックがはみ出した「バリ」がないかを確認。1袋で当時は1円30銭~40銭だった。

 近所にあるバンダイ模型の工場から箱詰めのランナーが届くと、近隣の女性らが取りに来る。今は5人ほどだが、最盛期には約30人を取りまとめ、1日に3万~5万袋を分担した。「月に10万円かせぐ人もいた。家計が助かったんじゃないかな」

拡大する写真・図版45年にわたってプラモデルの袋詰め内職をしてきた深沢幸子さん。手にしているのがガンプラのランナー=2020年10月4日、静岡市清水区、矢吹孝文撮影

 東京出身。両親の反対を押し切って結婚し、20歳で清水に来た。実家には頼れず、長男が生まれて働きにも出られない。生活が苦しい中、紹介されたのが袋詰めだった。機械化が進み、内職は減ったが、仕事で知人が増え、手がけた商品は世界中で楽しまれている。

 「ガンプラがあったから幸せな生活を送れた。あと5年は続けたい」(矢吹孝文)

拡大する写真・図版12月に発売されるガンプラの最新作。全高約30センチ。全身のハッチが開き、約90カ所を動かすことができる。パーツ数は660点で2万7500円(税込み)という大型モデルだ=バンダイスピリッツ提供(C)創通・サンライズ

「商売になる」は賢かった

 「機動戦士ガンダム」で総監督を務めた富野由悠季さん(79)の話。

     ◇

――ガンプラをどう思っていますか。

 「ガンダムは商売になる」と見抜いたバンダイは賢かった。「紙風船1枚作ってナンボ」の世界からやってきて、「爪に火をともす」ことを知っている堅実な町工場だった。

――「今井科学」の元技術者が関わりました。

 「なんだこれは」と驚くような製品ができた。後に、今井科学から移った社員たちが頑張ったと知った。今井科学の連中がいなければ、バンダイはガンプラを作れなかっただろう。

 ガンプラには気にくわない部分がある。人の形になりすぎている。もっと機械として考えてほしいとも思う。

――40周年をどう感じていますか。

 戦後経済の中で、ガンプラがこれだけの地位を占めたことに多少なりとも関与できたことは、僕のプライドになっている。一方で、「悔しいな」とも思っている。もう少し著作権や銭に汚い部分があったら、いい思いができたんじゃないかと(笑)。(聞き手・矢吹孝文)

「ガンプラ」とは

拡大する写真・図版12月に発売されるガンプラの最新作。全高約30センチ。全身のハッチが開き、約90カ所を動かすことができる。パーツ数は660点で2万7500円(税込み)という大型モデルだ=バンダイスピリッツ提供(C)創通・サンライズ

 1979年に放映が始まったアニメ「機動戦士ガンダム」は視聴率の不振で打ち切られたが、バンダイ模型が翌80年7月にプラモデルを発売し、「ガンプラブーム」を巻き起こした。当初から一貫して静岡の工場で生産され、今年5月まで累計約7億個を売り上げた。約半数が海外に出荷される。模型専門誌「月刊ホビージャパン」の木村学編集長は「現在の模型市場の半分以上を占めているのでは」としている。