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 足尾銅山の鉱毒事件で住民の先頭に立って活躍した田中正造(1841~1913年)の遺愛の品々をそろえた企画展「田中正造が愛したもの」が、栃木県佐野市の市郷土博物館で開かれている。来年は正造の生誕180年に当たり、妻への思いや大日本帝国憲法発布前の草案の私擬憲法をめぐる論議が分かる日記など59点が並ぶ。29日まで。

 「妻・カツ」と題した展示では、「妻を呼ぶには名を呼ぶべし」と書かれた1911(明治44)年5月の日記がある。

 日記によると、妻を呼ぶ際、「これこれ」などと言ってきたが、急用ではがきを出そうとした際、妻の名を思い出せなかったという。自戒として、「日に3度ずつ(名を)呼んで1年。いかに忘れ上手の正造たりとも、女房の名を忘れたくも忘れられぬべし」と書かれている。

 「自治の精神」のコーナーでは、私擬憲法を考える仲間との論議をめぐり、「死刑廃すべきの議/政府の職分は全く行政のみに限るべきものか」と書き残した日記が展示されている。1881(明治14)年10月の国会期成同盟の大会に出席するために「20円」を借りた証文もあり、これは未返済だったから残ったと言われる。

 大日本帝国憲法の発布後も自治を希求する考えは変わらない。1911(明治44)年7月の日記には「町村自治の外 日本を守るものなし。政治と水理と同じ」とある。12年3月には「人権また法律より重し。(中略)日本憲法は日本的天則に出しなり。宇宙の天則より出てたるにはあらざるなり」と書き残した。

 死の枕元にも3個あったという小石は、館内に残るだけで約200個。道で小石を拾う理由として、「美なる小石が人に蹴られ、車に砕かれるのが忍びない」という思いが、日記につづられている。

 茂木克美館長は「今回はこれまであまり知られてこなかった田中正造の一面を紹介した。日記や遺品から素顔を感じてほしい」と話している。

 問い合わせは同館(0283・22・5111)へ。入場無料。(根岸敦生

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