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慎吾とゆくパラロード

元SMAPの香取慎吾さんが朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターに就任してから11月28日で3年を迎えます。「今度は、僕がひとの生きる力になる番です」。高らかにそう宣言し、これまで2018年平昌冬季パラリンピックを現地で観戦したほか、連載「慎吾とゆくパラロード」では自ら競技も体験してアスリートたちと交流を深めてきました。「選手のみなさんは僕の心を開いてくれた。だからこそ、これからも力になりたい」。23回目を数える今回の連載でも、大いに語り合ってもらいました。

拝啓、香取慎吾様 ふとしたしぐさに見たパラへの欲求
香取慎吾さんに3年間寄り添ってきた担当記者が、香取さんへの思いをつづりました。

 香取慎吾(以下、香取) お会いしましたよね。

 岡崎愛子(以下、岡崎) 昨年11月のパラフェス以来です。香取さんは大変ですね。パラスポーツだけでなく、歌や映画など色々なことを知らないといけないですから。

 香取 大変より楽しい、かな。知ることは特に。パラでも僕が知る過程を通してみんなに知ってもらえたらうれしい。

紙面でも
香取慎吾さんとパラアーチェリーの岡崎愛子選手、東京五輪・パラリンピックの大会ボランティアを務める須藤扶美子さんとの鼎談は、11月26日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも紹介します。

 須藤扶美子(以下、須藤) 本当にたくさんのことをしていると思います。休めていますか?

脱線事故の1両目に

 香取 数年前より休めていますよ(笑)。須藤さんは東京大会の都市ボランティアに採用され、岡崎さんは選手として代表に内定ですか! どちらも大会には欠かせない存在ですね。岡崎さんはパラアーチェリーをする前は、体を動かしていたんですか?

 岡崎 中学ではソフトボール、高校では投げたディスクを犬がキャッチするフリスビードッグをやっていて試合にも出ていました。でも事故で車いすユーザーになってしまって……。

 香取 事故?

 岡崎 2005年のJR福知山線(宝塚線)脱線事故です。乗っていたのは1両目。事故直後は何かに挟まって体が動かないなと思っていたのですが、首の骨が折れて動かせない状態だったんです。

 香取 ええっ。

 岡崎 約1年入院し、卒業して就職。東京で一人暮らしを始め、13年にアーチェリーと出会いました。自分の障害レベルで取り組めそうなものがこの競技でした。

 香取 これまで病気や事故で体の一部の機能を失った選手の思いに触れてきました。岡崎さんも下を向く瞬間があったと思う。どう乗り越えてきたの?

 岡崎 喪失感はありました。卒業も就職もできるか不安でした。家族らの支えで一つ一つクリアし、自信をつけていった感じです。

 香取 着替えや外出など、生活は一変したよね。

 岡崎 生活のリズムをつくることが大変でした。ただ、一番のショックはフリスビードッグができなくなったこと。本当は球技が大好きで、車いすテニスや車いすバスケで東京を目指そうとも考えました。実際に体験もしたんですが、選ばなかった。障害のこともありましたが、好きだからこそ、思った通りに球を操れないということが受け入れられなかったんです。

 香取 できたことができなくなる。岡崎さんの感情は重く僕にぶつかってきました。須藤さんはなぜボランティアに?

大震災での支援が活力に

 須藤 私は2011年に宮城県石巻市で津波に巻き込まれ、国内外のたくさんのボランティアの支援を受けて、立ち上がることができました。今度、自分がお返しできる場面があれば、誰かのためにサポートをしてあげたいと思ったからなんです。

 香取 死に直面して、そこから救われたことがきっかけになったんですね。

 須藤 あの時、思いました。もう生きて戻れないと。帰省していた石巻から仙台に帰る電車内で地震に遭い、歩いて実家に引き返しました。両親と一緒に2階に上がり窓から外を見ると、目の前に津波が。すると、どんどん階段を上がってきたんです。覚悟を決めました。身元が分かるようにポリ袋に保険証と歯科の診察券、名刺などを入れて首から下げました。

 香取 オリパラが持つ本来の力って僕はすごいと思うんです。悲しいことがあってもこのスポーツの祭典はたくさんの人の光となって上を向かせてくれている。僕を2人に引き合わせてくれたこともその力だと思う。生きるってつらく苦しいこともあるけど、お二人の経験を聞いて、今を大切にしなきゃと感じました。2人は生かされた意味をどう思っていますか?

 須藤 児童74人が死亡・行方不明になった市立大川小ではたくさんの明るい未来、命が失われました。自分が生き残ってしまった怒りをぶつけたい気持ちもないわけではありません。助けられたのであれば、経験を伝えなければと思ったんです。都市ボランティアの役割の一つに宮城県独自の「東日本大震災語り部」というのがあります。その担い手として風化させないように、発信を続けていこうと考えています。

生きる、それぞれの意義

 香取 そうだよね。忘れられないことだし、忘れてはいけない。岡崎さんは?

 岡崎 脱線事故では100人以上が亡くなりました。電車が横転するなんて誰も予想できない。人生、どうなるかなんて本当に分からないんだと実感したんです。亡くなられた方もいて、感情の持ち方が難しいですけど、好きなことをやりながら一瞬一瞬を大事に生きることを気づかせてくれたような気がします。

 香取 僕らが見据える東京大会はコロナ禍で1年延期になった。でも通常開催ならすでに閉幕していたことを考えると準備不足だよね、と考えてしまう。だから、今はたくさんの人にお会いできるいい時間と僕はとらえています。

 須藤 私も後ろ向きには考えていません。いい準備期間です。私の場合は震災がボランティアに目を向けるきっかけとなり、様々なスポーツイベントにボランティア参加し、防災士の資格をとったり救急救命の講習も受けたりしました。東北の出来事を再認識し、復興を遂げた姿を見てもらうことでまた訪れたい、と思ってもらえたらうれしい。

 岡崎 事故から15年、いろんな人に助けられてきました。周囲からはいつまでも「あの脱線事故の」と言われますが、それは変えられない。でも、東京ではアーチェリーを頑張ってきたアスリートとして今の姿を見てもらいたい。選手やボランティア、観客らみんなで作り上げるそれぞれの光になるようなイベントになればいいですね。

 香取 そうだよね。東京パラリンピックはコロナ禍を乗り越えて開催した、ということだけにとどまらせてはいけないと思う。パラスポーツを知らない人が知り、体の不自由な子どもに選択肢が広がる、そんな橋渡しもできればと思って僕は応援を続けてきた。東京大会はその始まりでもある。歓喜の笑顔が広がる、そんな大会になれば世の中はもっと変わっていくような気がしています。(構成・榊原一生)

     ◇

 岡崎愛子(おかざき・あいこ) 1986年1月生まれ、大阪府出身。2005年、同志社大に通学中、JR福知山線脱線事故に遭い頸髄(けいずい)を損傷。首から下にまひが残る。13年にパラアーチェリーを始め、19年6月の世界選手権男女混合(障害の重度なW1クラス)で銅メダルを獲得。東京大会代表に内定した。ベリサーブ所属。

 須藤扶美子(すどう・ふみこ) 1962年9月生まれ、千葉県銚子市出身。中学生の時に家族で宮城県石巻市へ。帰省中の2011年、東日本大震災で津波被害に遭った。復興を手助けしてくれたボランティアに刺激を受け、様々なスポーツイベントのボランティアに参加。東京大会は宮城県の都市ボランティアで活動予定。

 香取慎吾(かとり・しんご) 1977年1月生まれ、神奈川県出身。88年SMAP結成、メンバーの一員に。2016年、SMAP解散。17年、稲垣吾郎さん、草彅(なぎ)剛さんと「新しい地図」結成。ドラマや映画、CMなど多数出演。近年は画家やファッションブランドのディレクターとしても活躍中。