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 大学進学で栃木県を離れた。2年前、約18年ぶりに東京都から居を移した。

 日光市の公務員一家という環境で育った。就職活動の際、地元での就職も考えたが、就職先で頭に浮かんだのは公務員と銀行。そのまま戻ったら、視野が狭くなりそうで嫌だった。

 都内のコンビニ大手に就職し、転職先も都内のIT企業だった。都内であった栃木県関係者が集まった会合に出席し、移住促進を担当する県職員に出会ったことが転機となった。外から見る故郷に接し、急に故郷を意識し始めた。

 県職員から勧誘され、転職したのが東京・有楽町のNPOふるさと回帰支援センターの相談員だった。栃木県への移住希望者に接する日々が始まった。

 栃木を紹介することを通じて、地元の魅力を再発見していた。自然豊か。山に近い。農業や田園生活ができる。東京にアクセスがいい。栃木はどの希望もかなう場所だった。「海で何かをしたい人以外なら、栃木は何でも希望に応えられると思った」

 Uターンを考え始めたときに候補に挙がったのが栃木市だった。日光から栃木女子高に通った3年間の記憶がよみがえった。あこがれたのは嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区での暮らし。例幣使街道に面したこの町は江戸時代、高家の家柄を誇った畠山家の陣屋があった。

 市に紹介されたのは同地区の泉町にある旧・大貫定衛商店。麻苧(あさお)問屋を営んできた見世蔵の家で、黒漆喰(しっくい)で重厚な店構えが残る。1997年に廃業以降、空き家になっていた。

 「嘉右衛門町伝建地区まちづくり協議会」の事務局の仕事も任された。夫の翼さん、息子の楽君と引っ越した。翼さんは蔵の街遊覧船の船頭も務めている。

 移住した住民とマーケットを開いたり、住民目線からの冊子「地と」の編集をしたり、市内の観光名所や飲食店を取り上げたローカルガイド「PoPoPo」を作ったり。自分の経験を知らせたい一心がのぞく。

 「栃木市は街並みだけではなく、住む人も魅力的。わくわく感がある」(根岸敦生

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