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 【岡山】被爆から75年が過ぎ、被爆者の子らが親たちの体験の継承を担おうとする動きが全国に広がっている。県内でも22日、被爆2世や3世ら約40人による組織が立ち上がり、親世代が進めた核廃絶運動の引き継ぎに本格的に取り組む。

 県によると、県内で被爆者手帳を所持する人は1185人(3月末時点)で、平均年齢は84・5歳。この10年で千人以上減った。2千人ほどいた県原爆被爆者会の会員は昨年度は431人に。語り部として活動した延べ46人は、全員が75歳以上だという。

 県内に16あった支部も10支部に減少。これらを受け2世の有志らが活動の存続を探り、昨年3月から組織作りの準備を進めてきた。

 その結果、被爆者に限るとしてきた県原爆被爆者会の会則を変更。2世、3世の参加も認めることにし、「二世部会」を立ち上げることになった。被爆者の活動の支援を続け、将来的には語り部の継承も検討するという。

 初代部会長に就く村上佳穂(よしお)さん(60)=岡山市南区=は「親世代の思いを継ぎ、次世代へ平和を訴えていきたい」と言う。ただ、二世部会の平均年齢も約65歳と決して若くない。

 被爆者からは歓迎の声があがる。被爆者会の広信靖之会長(76)は「外出もままならない被爆者が増える中で心からうれしい。協力し合いたい」と話す。

 日本原水爆被害者団体協議会によると、近年は被爆者団体の解散の一方で、2世らの組織が結成され、広島、長崎以外にも広がっている。組織を立ち上げず被爆者団体の運営に関わるケースもある。

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 「被爆者の声にこたえないと」。部会長に就く村上さんは語気を強める。

 会の活動に関わるなかで、長年胸に秘めた壮絶な体験を、使命感から語り始めたという人たちを見てきた。その心境は2世の立場からはよく分かった。「非核の願いが成就しない限り、死にきれないのでは」

 小学生のころ、自宅で父の治さんの手記を読んだ。1951年に書かれたA5判の10ページ。「原子爆弾体験記」と題されていた。ページをめくると、嗚咽(おえつ)が止まらなくなった。

 長崎で15歳のとき、被爆した父。毎年8月9日は家族で長崎の式典に向かい、祈りを捧げたが、父は体験を多くは語らなかった。

 手記によれば、父は爆心地から約800メートルの病院にいた。閃光(せんこう)と同時に崩れた壁の下敷きとなり、火煙に包まれるなかで聞いた人々の「苦しい」という叫び。たどり着いた小学校で聞いた、皮膚がふくれあがった人のうめき声。その日は死体のすぐそばで横にならざるを得ず、その後自宅に戻ると、母と姉が骨になっていた。

 戦争が終わると、周囲が原爆症とみられる症状で次々と息を引き取り、不安に駆られた父。「あのとき読んだ手記の言葉の一つひとつが、自分に何かを訴えかけているようだった」

 2世の自分に何ができるのか――。そんな問いを繰り返して生きてきた。40代で母の介護のために両親が暮らす岡山へ来て、被爆者会員だった父に付き添って会の催しに参加したのがきっかけとなった。

 4年前、父は肺炎で息を引き取った。被爆者の声を途絶えさせまい。そんな使命感で二世部会を育てたいと思う。

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 二世部会はメンバーを募集している。孫世代の参加も可。問い合わせは県保健福祉課援護班内の県原爆被爆者会事務局(086・226・7320)へ。(華野優気)

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