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 中宮寺(奈良県斑鳩町)の住職、日野西光尊(こうそん)門跡(90)が歌集を出版した。旧華族らが集まる歌会で2007年から詠んだ1千首を超える和歌を紹介している。卒寿を迎えた今、自らの戦争体験を振り返り、未来への思いも記している。

 歌集「み佛(ほとけ)の大き光につつまれて」(春秋社)は9月に出版された。07年に「御(み)佛にいだかれて」(思文閣出版)という歌集を出しており、その続編だ。

 日野西さんをはじめ旧華族らが京都で開く「向陽(こうよう)会」がある。毎月20日に例会があり、それまでに宮中から出された兼題と向陽会からの兼題を2首ずつ詠んでいく。例会当日にも兼題が出されて2首を詠み、これらのうち良い方の1首ずつを清書するという。

 10年の兼題「光」では「み佛の大き光につつまれて よはひ重ぬる我が幸思ほゆ」と詠み、今回のタイトルにした。コロナ禍の今年は兼題「会」に「コロナ禍に休会続きし諸会合 友のたよりの無事は嬉(うれ)しき」。兼題「抱」では「み佛と師友に抱き支へられ 卒寿むかふる幸ぞたふとき」と卒寿の心境を表した。

 「卒寿になり、言い残すことがないように思いをしたためました」と語るとおり、歌集の後半で人生を振り返った。その思いを聞くと、戦争体験を挙げた。

 東京の女子学習院初等科のとき、同級生が空襲で亡くなった。「すぐ隣の席の友人でした。机の上に花を供え、手を合わせたことを思い出します」

 44年に京都に疎開した。配給米だけでは足りず、母が近くの農家に着物を持っていき、米や野菜と換えてもらった。明治天皇に頂いた品物も交換したそうだ。

 京都第一高等女学校では、授業どころか農業動員があった。農家の若者が兵隊にとられ、日野西さんら女子学生が農作業をした。

 さらに学徒動員だ。近くの小学校が工場になり、そこで働いた。ただ、仕事があったのは2カ月ほど。終戦間近は、みんなで歌を歌うぐらいしかやることがなかった。「なぜ仕事がなくなったのか知らされなかったし、戦争に勝つと思っていたから疑問にも感じません。洗脳されていたんです。大切なのは教育です」

 戦後、その教育が変わった。学校で最初にしたのが、軍国主義にかんする教科書の記述を墨で消すことだった。「戦時中は非国民と言われたことが、戦争が終わると正しいことになった。不思議なほど、ころっと変わりました。何が正しく、何が悪いのか、すぐには判断がつかなかった」と振り返る。

 51年、親戚が千葉で開いていた幼稚園の先生になった。その10年後に中宮寺に入り、得度。64年に門跡に就いた。「仏さまにお仕えし、日々清らかな気持ちで過ごせるならありがたいと思い、尼僧の道を選びました」

 それから半世紀あまり。「自分の心のちりを払って心を清め無になれば、人さまの悩みや苦しみが見えてくる。悩みを抱えた人が何でも話し、喜んで来てもらえるお寺にしたい」と話す。

 卒寿を迎えた今、新型コロナウイルスへの不安だけでなく、温暖化や相次ぐ災害をはじめ、「この地球がどうなるのか心配になる」と打ち明ける。

 「人はみな、ひとりで勝手に大きくなり、何でもできると過信してしまう。そのおごりが人を批判したり、けなしたり、ついには戦争や環境破壊につながる。ひとりひとりが自分自身を見つめ直すことが大切です」(岡田匠)

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 中宮寺は11月中旬、国宝の菩薩半跏思惟(ぼさつはんかしゆい)像をまつる本堂の修復を始めた。像は来年1月12日まで宮城県美術館(仙台市)、1月26日~3月21日に九州国立博物館(福岡県太宰府市)で開く特別展で展示する。修復を終えた本堂では来年4月から公開する。この間、ふだんは非公開の境内のお位牌(いはい)堂で、大正時代と1992年につくられた2体の御身代わり御本尊を3月31日まで公開する。

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