医師の故・秋月辰一郎さんの妻で、ともに被爆しながら看護師として救護に当たった秋月寿賀子さんが19日、102歳で死去した。長崎の平和運動のリーダーだった辰一郎氏と二人三脚で歩んできた寿賀子さん。ゆかりの深かった関係者はその死を悼んだ。

 26歳の時、爆心地から約1・4キロの病院で被爆し、被爆者の救護を続けた寿賀子さん。戦後は持病のぜんそくをおして平和運動に飛び回る辰一郎さんを支えた。1982年には米ニューヨークでの国連軍縮会議に出席した辰一郎さんに同行。自身も平和行進に参加し、被爆体験を証言した。

 日赤長崎原爆病院名誉院長の朝長万左男さん(77)は「病弱な秋月先生に『滋養のために』と豪華なうな重を作り、献身的に健康管理に気を配っていた」と振り返る。「寿賀子さんは、原爆のない平和な世界を願っていた。いま生きている私たちがその遺志を継がなければ」と語った。

 辰一郎さんの「第一の弟子」を自任する「高校生平和大使」世話人の平野伸人さん(73)は、夫妻の家に招かれることも多かった。議論が白熱すると絶妙なタイミングで間に入ってくれるのが寿賀子さんだった。「頑固なところもある秋月先生を『若い人の言うことも聞きなさい』とたしなめていた。厳しくも優しい人で、平和大使の活動も温かく見守ってくれた」と振り返る。「秋月先生とともに長崎の平和運動の一時代を築いた人。亡くなって本当にさびしい」(弓長理佳)

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