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 全国でも例が少ない八角墳の中尾山(なかおやま)古墳(8世紀初め、奈良県明日香村)について詳しい構造が判明した。墳丘の外周に八角形状の石敷きが3重分あったことが確認され、石室は赤く塗られていた。村教育委員会と関西大が26日発表した。八角墳は天皇墓の特徴といい、専門家は飛鳥時代の文武(もんむ)天皇陵だった可能性が高まったと指摘する。

 村教委と関西大は今年9月から、約46年ぶりに発掘調査を実施。墳丘は3段の八角形で、下段(一辺約8メートル)と中段(同約6メートル)は石を敷き詰めて築かれていて、基壇状だった。上段(同約5メートル)は、土を突き固めた版築土(はんちくど)のみでつくられていた。

 外周の石敷きは3重にめぐらされていた。過去の調査では2重と考えられていた。1重目の一辺は約8・3メートル、2重目は約10・5メートル。3重目の正確な形は分かっていないが、石敷き全体も墳丘と同じく八角形だった可能性がある。

 石室は、計10の石材を組み合わせて横に口が開いている「横口式石槨(せっかく)」と呼ばれる構造。内部は約90センチ四方の空間で、壁面は丁寧に磨き上げられ、全体的に水銀朱で赤く塗られていた。中央部には60センチ角のくぼみがあり、火葬した骨をおさめた器を安置する場所だったとみられる。古墳全体では計約560トンの石材が使われていたという。会見した関西大の米田文孝教授(考古学)は、構造などについて「唯一無二の事例」と述べた。

 天智天皇陵とされる御廟野(ごびょうの)古墳(京都市)など、八角墳は飛鳥時代の天皇墓の特徴という。中尾山古墳の近くにある天武天皇と、その妻の持統天皇の合葬墓とされる野口王墓(のぐちのおうのはか)古墳(同村)も八角墳で、石室とみられる墓室の内部は朱塗りだったという。

 文武天皇は持統天皇の孫。707年に飛鳥の岡で火葬され、「安古(あこ)」という場所に葬られたと伝わる。専門家らは立地や構造などから、それが中尾山古墳にあたると考えてきた。一方、宮内庁は近くにある別の古墳「檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)」を文武天皇陵としている。

 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥…

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