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 弥生時代に「都市」はあったか。かつて大いに議論が交わされた弥生都市論の震源地のひとつは池上曽根遺跡(大阪府)の巨大建物跡だった。衝撃の発見から四半世紀、弥生都市論のいまを探る。

 〈弥生最大級の建物跡〉

 〈吉野ケ里に匹敵〉

 〈邪馬台国論争に一石〉

 1995年6月17日の朝、朝日新聞(大阪本社版)には、大阪平野南部に位置する池上曽根遺跡での発見について、こんな見出しが躍った。外側で建物を支える棟持柱(むなもちばしら)を持つ大型建物や特殊な井戸跡が確認され、メディアはこぞって大々的に報じた。

 当時、弥生時代の巨大環濠(かんごう)集落は関心の的だった。89年、北部九州の吉野ケ里遺跡(佐賀県)が華々しく登場し、「魏志倭人伝」記載のクニをほうふつさせると話題に。それだけに、弥生文化の本場を自負する近畿地方での大型遺構群の出現は待望の発見となった。両地域が対峙(たいじ)する邪馬台国論争とも絡んで、弥生都市論争はヒートアップしていく。

 「池上曽根は弥生都市論を具体…

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