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 【愛媛】松山市の高浜港から対岸の興居(ごご)島へ、静かな海面をフェリーがゆったり進む。島に近づくにつれ、濃い緑と明るい茶色が交じり合う場所が所々に見えてきた。小冨士山から子持山、高戸山、泰の山へと続く山裾に広がる、かんきつ畑。ミカンの名産地・忽那諸島も、実りの季節を迎えている。

 「興居島はある意味、ビギナーでも取り組みやすい場所だと思います」

 島に2017年に移り住み、ミカン農家になった石川雄介さん(35)は、照れくさそうに話した。「日当たりも水はけも良い。潮風も適当に舞って、塩分が木にちょうどいいストレスを与えるので、糖度が上がりやすい。かんきつ栽培に恵まれた環境です」

 妻の真里さん(31)、長男七海和(ななわ)ちゃん(2)、長女日向和(ひなわ)ちゃん(0)との4人暮らし。「ごごにゃんファーム」と名付けた農園で温州ミカンと宮内イヨカンを育てる。真里さんはオンラインショップで、農園のかんきつ類や手作りジャムなどを販売している。

 農園のキャッチフレーズは「離島から世界に挑戦中」。かつて青年海外協力隊員としてアフリカのナミビアで活動した経験が、2人と興居島をつなげた。

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 夫妻とも愛媛県外出身。島に縁はなかった。雄介さんは「興居島って、『宇和島』みたいな地名かと思っていた」。愛媛大学農学部に在学中、かんきつ収穫のアルバイトで冬休みの約2週間、住み込みで働き、興居島を知った。

 卒業後に勤めていた建設会社を5年で退職。青年海外協力隊に応募し、14年から2年間、ナミビアに派遣された。

 現地の人に測量などの技術を教え、同僚と道路を修繕した。活動の傍ら、現地の人たちが貧しくても陽気に生きる姿を見た。「カロリーのあるものを食べておけば、なんとかなる」。強烈な印象を受けた。

 同じ頃、小学校の講師をしていた真里さんも、協力隊員としてナミビアの小学校で教壇に立っていた。「多民族の国だけど、争わない。広い空と、優しい人々。私も帰国したら、力を入れずに生きてもいいんだって思えました」

 雄介さんは帰国後、松山へ向かった。隊員として派遣される直前、大学時代にアルバイトをしていた興居島の農家から「農園を貸すので農業をしてみないか」と声をかけられ、ミカン農家になると決めていた。

 真里さんは帰国直後、ミカンの収穫を手伝いに行くという他の隊員らに連れられ、初めて興居島を訪れた。「恋人峠からの景色がきれいで。広い空と、島の人ののんびりした空気。めっちゃナミビアだと思った」。ここなら住みたいと、島にほれた。そして、雄介さんと再会した。

 2人は程なく交際を始め、17年に結婚。島での農園生活が始まった。

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 「他にも働き口があるのに、なぜ農家なのかと、はじめは他の島民にも言われました」。だが、雄介さんには、確信があった。「島のミカンはおいしい。勝負できる」

 1年目は農薬の散布方法で失敗。ダニの発生を抑えきれず、皮が白く変色してしまった。2年目は、西日本豪雨で畑の一部が流失した。平坦(へいたん)な道のりではないが、島の人たちに相談すれば親身になってアドバイスしてくれる。

 「なんとかなると思えたら、しんどくはない」

 2人の夢は、島と海外をつなげること。真里さんは来年春以降、移動販売式のカフェを開こうと計画中。世界の食材を使ったお菓子を作ろうと考えている。雄介さんは将来、ゲストハウスを作って世界から旅行客を呼び込み、ミカンを食べてもらおうと考えている。

 「せっかく島にいるんだから、自分たちができる、オリジナルなことを探したい」。挑戦は、始まったばかりだ。(伊東邦昭)

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