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 何百年も受け継がれてきた祈りが、雪深い山あいの集落にある。

 福井県境に近い滋賀県長浜市余呉町菅並(すがなみ)。観音信仰が根付く「観音の里」と呼ばれる地域の最奥部にあたる。

 昨年12月11日朝。木立の中の観音堂に約20人の住民が集まった。

 新年を前に1年の汚れを落とすすす払いだ。老人会が毎年この日にしている。

 安置された仏像は計11体。中央の厨子(ずし)には通常非公開の秘仏、観音菩薩(ぼさつ)立像(りゅうぞう)(重要文化財)がある。

 老人会会長の嵐辰夫さん(68)が厨子に入り、新しい布を手に汚れを払った。

 「ありがたい役。新年は良いことがありますようにと祈りました」

 市内にある観音像は130ほど。大寺院はなく、いずれも集落の小さなお堂につつましく安置されている。

 地元の高月観音の里歴史民俗資料館学芸員の佐々木悦也さん(60)は、近江国の鬼門(北東)の霊山としてあがめられていた己高山(こだかみやま)(標高923メートル)に注目する。

 「ここは古来より畿内・北陸・東海を結ぶ交通の要衝。奈良仏教や北陸の白山信仰、そして天台宗の影響を強く受け、観音信仰を基調とする独自の仏教文化が花開きました」

 戦国の世に寺は廃れたが、仏像は村人が守ってきた。その一つが、菅並の観音像だ。

 高さは人の背丈ほど。背中の墨書(ぼくしょ)銘から、鎌倉時代の建保(けんぽう)4(1216)年の作と分かる。細長い目。結んだ小さな口。どことなくほのぼのとした表情だ。

 正式な開帳は33年に1度だが、「中開帳」として17年ごとに姿を見せる。前回の中開帳は5年前だった。

 だが、すす払いに来た自治会長の杉山靖さん(61)や前会長の前田一雄さん(69)の表情は浮かない。

 「住民は減り、みな年もとった。次の開帳は、できないかもしれない」

 明治期は、炭焼きや林業を生業(なりわい)にした400人ほどが暮らした。炭焼きは大正期が舞台の漫画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」の主人公、竃門(かまど)炭治郎(たんじろう)の家の生業としても知られる。1世紀を超えた今、住民は40人ばかりになった。

 「限界集落どころか、消滅に近い。今後も観音さんを守っていくには、公開して拝観料で維持管理するしかないのでは、とも思う」

 19、20年は1日限りの特別公開をした。拝観料の収入で、観音堂に防犯カメラを設置することができた。

 ただ、長く秘仏とされてきただけに、公開には反対意見も根強い。

吹き始めた新しい風

 すす払いには、文化財行政と観音像の所有者らを結ぶ役を担う「観音の里コーディネーター」対馬佳菜子さん(27)が手伝いに来ていた。「こんなに地元に愛される観音さんは幸せです」

 東京出身。家族で訪れた奈良で、東大寺法華堂の本尊・不空羂索(けんさく)観音に心を奪われた。大学生になると地方の仏像に興味を持った。中でも長浜は格別だった。

 「村人と苦楽をともにしてきた仏さんは、良いお顔をされてます」

 長浜市が仏像の魅力発信を担う「地域おこし協力隊」を募っていると知り、会社を辞めて単身引っ越した。周りから「観音ガール」と称され、自身の肩書にした。

 いま各地の集落で語り合い、今後仏像をどう守っていくかを、地域に寄り添いながら考えている。

 「対馬さんと会って、観音さんを多くの人に見てもらいたいと思うようになった」と杉山さん。

 新しい風が吹き始めている。

 菅並集落は、急勾配の屋根で雪が滑り落ちる「余呉型」と呼ばれる葦(よし)葺(ぶ)き民家が約40軒残る。市は町並みを文化財として守ろうと、重要伝統的建造物群保存地区の選定を目指す。集落に観光客を呼び込む狙いもある。

 年末年始の大雪の中、集落は里帰りで少しにぎやかになり、観音堂には丸餅の雑煮が供えられる。小さな習わしが受け継がれていく。(筒井次郎)

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 文化庁によると、絵画や彫刻など「美術工芸品」の分野での滋賀県内の国宝・重要文化財は計639件(2020年11月現在)。うち国宝は34件にのぼる。国宝・重文の合計数は都道府県別では東京、京都、奈良に次ぐ4位だ。

 仏像などの彫刻の重文は379件で、うち国宝は4件。その一つは長浜市の「観音の里」にある向源寺(こうげんじ)の十一面観音立像(りゅうぞう)。平安時代に作られ、優美な観音像として知られる。

 ほかの3件はいずれも三井寺(大津市)にある。平安期に作られた智証(ちしょう)大師坐像(ざぞう)2体と新羅(しんら)明神坐像だ。