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 南九州の戦国大名・島津氏の老中(家老)で宮崎城主を務め、詳細な日記を残した「筆まめ武将」、上井(うわい)覚兼(かくけん)(1545~89)。その日記を研究している新名一仁・志學館大非常勤講師が「現代語訳 上井覚兼日記」(ヒムカ出版刊)を刊行した。島津氏の軍議や他勢力との交渉の内容と共に、覚兼が城主を務めた宮崎城(宮崎市)での日常生活も知ることができる資料だ。

拡大する写真・図版新名一仁「現代語訳 上井覚兼日記」、税別1800円。問い合わせはヒムカ出版(0985・47・5962)。

 大隅(鹿児島県東部)出身の覚兼は、島津家当主の義久(1533~1611)に行政手腕を買われ、32歳で老中に抜擢(ばってき)、36歳の時に日向(宮崎県)の宮崎城主となった。彼の日記は1574~76年と82~86年の分が現存し、重要文化財となっている。

 今回刊行されたのは1582年11月~翌年11月の約1年分で、肥後(今の熊本県)南部の八代を手に入れ、肥後全体の制圧に乗り出した島津氏の動きが詳しく分かる。

拡大する写真・図版上井覚兼の居館があった本丸とみられる宮崎城の広い曲輪=宮崎市

 日記には、八代に派遣された島津の武将らが連日、談合(軍議)と寄合(よりあい)(酒宴)を繰り返し、誰かが宿所で風呂をたくと、皆で入浴してまた酒宴になる、といった様子が記述されている。軍神・毘沙門天に武運を祈り、くじで出陣のタイミングを占い、道教のお札を使ったまじないもしていた武士らの信仰のあり方も興味深い。

 また、西北九州を勢力下に置く…

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