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 菅義偉首相は秋田県出身として初の、そして東北では5人目の首相だ。実はこれまでの4人全員が岩手出身で、うち3人は1900年代前半に集中する。一方、人口が多い宮城はゼロだ。なぜだろう。日本近代政治史が専門の伊藤之雄・京都大名誉教授に解説してもらった。

 まず、歴代首相63人の中で東北出身者が5人という数について、伊藤氏は「若干少ない程度」とみる。

 「初代以降、公家出身の西園寺公望(さいおんじきんもち)や佐賀出身の大隈重信を除けば、寺内正毅内閣が米騒動で1918年に倒れるまでは薩長藩閥内閣といっていい。一方、30年代後半から、東京で育ち恵まれた教育を受けた世代が首相になる大きな流れがあった。藩閥系や東京育ちを除くと、一地方で数人は想定の範囲内だ」

 いとう・ゆきお 1952年生まれ。京都大大学院法学研究科教授などを務めた。「昭和天皇伝」(文芸春秋)で司馬遼太郎賞受賞。8月に「真実の原敬―維新を超えた宰相」(講談社現代新書)が刊行。

 菅首相までの4人(原敬、斎藤実、米内光政、鈴木善幸)全員が岩手出身。伊藤氏は「偶然の要素もある」としつつ、東北などの諸藩が新政府軍と戦った戊辰(ぼしん)戦争(1868~69年)との関連性を指摘する。

 「盛岡藩士の家に生まれた原や米内は、薩長への敵対心や反骨精神が向上心に結びついたのだろう」

 戊辰戦争では東北・北越の諸藩が奥羽越列藩同盟を組んで戦った。なぜ盛岡藩だけが?

 「たとえば会津藩は東京帝大総長の山川健次郎ら優秀な人材が輩出しているが、薩長が実権を握る政界で上り詰めるには敵対心が強すぎた。盛岡藩は、会津ほど薩長に極端に攻められていないので冷静に付き合えたのかもしれない」

 大藩だった仙台藩はどうか。斎藤が生まれた水沢は仙台藩の一門の領地だったが、明治から岩手県。伊藤氏は、仙台藩が同盟を主導したのに、会津、盛岡各藩より早く降伏した点に着目する。

 「明治・大正の藩閥優位の競争…

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