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 アフリカ東部エチオピアで政府軍と北部を拠点とする政党による軍事衝突が起きています。政府軍を率いるのは、2019年にノーベル平和賞を受賞したアビー首相です。そもそもエチオピアは地理的にどのような場所にあり、どのような歴史があるのか。そして今回の衝突はなぜ起きたのか。エチオピア研究が専門の日本貿易振興機構アジア経済研究所の児玉由佳主任研究員に聞くと、80を超える民族を抱えるエチオピアの内政安定の難しさが見えてきました。

人口アフリカ2位の大国

 ――エチオピアはどのような場所に位置しますか。

 「アフリカの角」と呼ばれるアフリカ北東部に位置し、アラビア半島と向かい合っています。この地域はインド洋と紅海に接することに加え、紅海からスエズ運河を通って地中海にもつながる交通の要所で、古くから欧米諸国が強く関心を持っていました。エチオピアは内陸国で、隣国のスーダンやエリトリアなどに比べ政治的にも経済的にも安定した国だとみられてきました。

 面積は日本の約3倍、人口は1億人を超え、ナイジェリアに次ぎアフリカ第2位です。首都アディスアベバにはアフリカ連合や国連アフリカ経済委員会の本部があり、アフリカの政治・外交の中心地の一つです。

 ――どのような歴史があるのでしょうか。

 1974年に帝政が崩壊し、軍事独裁政権が社会主義政策を推し進めました。民族問題への関心は低く、民間人を抑圧しました。91年の崩壊直前だった旧ソ連からの支援がなくなることで、当時の政権は弱体化し、エチオピアの反政府勢力が、エチオピアに併合されていたエリトリアと協力して首都アディスアベバに攻め入り、軍事政権を倒しました。このときの反政府勢力であるエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)の軍事的なリーダーが、今回の軍事衝突で政府軍と戦う、北部ティグレ州が拠点のティグレ人民解放戦線(TPLF)でした。

少数民族が暫定政権トップに

 ――ティグレ族は国民の6%ほどの少数民族です。なぜTPLFがEPRDFのリーダー役を担ったのですか。

 当時のTPLFは、他の民族の軍事集団を統合する立場にあり、規律が高く、権力掌握にたけていたと言えます。軍事政権を倒した際は、各民族が自らの意思で政治体制や帰属を決めるべきだとする「民族自決」を掲げ、他の集団を仲間として巻き込んでいきました。

 91年にTPLFを含む四つの民族政党から構成されるEPRDFによる暫定政権が発足します。政権トップの首相は95年から2012年までティグレ出身者でした。95年にできた憲法では、民族の名を冠した州を定めたり、各州が自らが使う言語を決められたりするなど、各民族への寛容な姿勢を示してきました。一方で反政府勢力に対しては強圧的な政策を取っており、両者のバランスで国内の安定を保とうとしてきました。

 ――その後18年4月に就任したアビー首相は、ノーベル平和賞で評価された外交面だけでなく、内政面でも大きな変化を起こしました。

 人口の3分の1近くを占める最大民族オロモ出身のアビー首相は19年12月に、30年近く続いてきた連合政党のEPRDFを解消し、「繁栄党」という一つの党に統合しました。その狙いは定かではない部分もあるのですが、背景には民族対立や経済格差によってEPRDFへの市民の不満が募っていたことがあります。ただ、EPRDFを長く主導してきたTPLFは、EPRDFの解消は民族の自治の権利を奪うもので、各党の解党を伴うEPRDFの解消への法的手続きに異を唱えるなどして、「繁栄党」への参加を見送りました。

なぜ、いま衝突?

 ――それが今回の軍事衝突につながったのでしょうか。

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