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 いにしえの時代、日本海側は列島の表玄関として異文化を受け入れ、発展した最先端の地域だった。いにしえの日本海を行き交ったのは、きらめくガラスや宝石だけではない。はるか遠く南の島で採られた貝も、船で運ばれていたようだ。日本海側最大級の縄文貝塚とされる小竹(おだけ)貝塚(富山市)で見つかった貝製の腕輪は、約6千年も昔から長距離をつなぐ交易ルートが存在していた可能性を示している。

拡大する写真・図版小竹貝塚で見つかったオオツタノハの貝輪。半分に割れている=富山市

南の島の貝がなぜ?

 富山湾から4キロほど内陸へ入った場所に、小竹貝塚はある。今は一面に水田が広がるが、縄文時代はラグーン(潟湖(せきこ))の湖畔にあたる場所だったらしい。

 2009、10年、北陸新幹線の建設工事にともなう発掘調査で、縄文時代前期では全国最多となる91体以上の人骨が見つかり、大きな話題になった。だが、発見はそれだけではなかった。

 「なんの貝だろう」

 富山県文化振興財団の町田賢一さんが、現地から持ち帰った8万個以上の土囊(どのう)袋の中身を整理していたときのこと。半分に割れ、色が抜けた貝製の腕輪を見つけた。

 縄文時代の人たちは、大型の貝に穴を開けた貝輪を好んでつけた。だが、カキやベンケイガイといった近郊で採れる貝ではなく、種類がわからない。

 専門家に見てもらうと、貝は「…

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